脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

2-2 事例2 幽体離脱ができるB子さん

スピリチュアルにハマる人は、もともと霊的な世界に関心があったり、霊的な能力を自覚していたりする人が多いのは、スピリチュアルを霊性とその世界を指すものであることから当然のことであるといえます。

(目に見えない、霊的な世界)を敏感に感じ、反応する人たちは広義のHSP(ハイリーセンシティブパーソン:Highly Sensitive Person)に含まれると思います。HSPは持って生まれた資質・体質的なもので、特殊感覚・能力は各人それぞれの特徴があり、意外にもそうした人は人口の1~2割を占めるといいます。

 

自分が持つ感覚が[他者と同じ]だということはあり得ません。自分が見る世界、耳に入ってくる音、身体に届く風や匂い、色や立体の捉え方、、、などなど、どれもが全く同じ情報として入ってくることはなく、一人ひとりの感覚によって受け止められるのですから「自分が見るもの、刺激を受けるのの世界は他者のそれとは異なる」ということが、HSPの理解によってだいぶ理解されるようになってきました。

 

【ケース2】霊感気質に振り回されていたB子

今回は、私の学生時代の友人B子の話をします。

彼女は明るく朗らかで、気さくな優しい子でした。進級でガラリとクラスメイトが入れ替わって少し不安だった私とB子と仲良くなるのにはあまり時間がかかりませんでした。

ある日の休み時間、何気ない会話の中で、ふとB子が

「実は私、、、幽体離脱ができちゃうの」

私は驚いたものの興味のほうが勝り、彼女に次々と質問しました。

 B子は夜に寝床に入ると「自分の身体を抜け出してあちこちへ出掛けている」と。

初めて幽体離脱した時は、怖くなってすぐに自分の身体に戻ったそうですが、やがて自分の家の中、家の前、、、そのうち近所を巡るようになったそうです。その際、「自分の視点は宙に浮いていて、空中から景色を眺めるように移動している」と言いました。

 そんな告白を聞いてから少し経ったある日のこと、

「自分の肉体からどんどん離れることが出来るようになると、いつも途中で怖くなって自分の家に戻るんだけど、昨日は“どこまで行けるかな?”と思っちゃって、隣町まで行っちゃった…。なんか“もう戻れなくなっちゃうんじゃいか”と思って、そのまま急いで家に向かって強引に戻ったんだ」

どうやら、彼女の魂が自分の部屋から自宅を出て近所を巡り、少し遠くにある駅まで行った、とのこと。

私は、

「自分の身体に戻れなくなるってことってあるの?」

と聞いてみました。

すると彼女は、

「分からないけど、、、戻れなくなることが、あるんじゃないかと思う」と答えました。

さらに、時々B子は「霊が見える」と言いました。それらの霊に対してあまり恐怖感は持つことはなく、「あぁ、いるな…」と思う程度のことだそうです。生身の人間と霊の違いは、すこし透明感があり、宙に浮いている感じがあると言っていました。

 

やがて、私たちが受験を控えるようになると、それぞれが切羽詰まってきたこともあり、いつのまにかB子と幽体離脱の話はしなくなりました。というより、B子も受験でどんどんセンシティブな状態になったのかもしれません。当時、私自身も受験勉強で夢中になっていたので記憶が定かではありません。ただ、B子との関わりも減っていったのは事実です。

3学期の受験生の登校はほとんど無く、それぞれの受験が始まったかと思うとあっという間に時が過ぎ、B子の進路を知ることなく卒業になりました。

 

B子が卒業式に出席していたかは覚えていませんが、卒業後、仲間との集まりにB子が来たことはありません。

 

[B子の生い立ち]

B子の近所に住む友人から聞くには、

B子の家は非常に教育熱心な家庭だったそうです。B子には弟がいたのですが、彼は中学校から不登校になったとのこと。B子は両親から本人の実力よりもかなり上の学校を目指すことを強いられ浪人もしたけれども、結局、海外の大学卒業の認定をもらえる学校へ進学したそうです。その学校を卒業したかは誰も知りません。

何回かあった同窓会や共通の友人の結婚式にもB子が姿を見せたことがありません。

卒業から10年たった時の同窓会で、連絡はがきが『宛先不明』で戻ってきたそうです。

結局、消息は不明となりました。私はB子が元気で生きていればいいなと思っています。

 

B子の家は厳格でした。親は教育に非常に熱心で、彼女に多大の期待を寄せていたようです。B子の親を知っている友人から話を聞くと、過保護・過干渉そして価値観の押しつけをする強烈な親の印象があるといいます。学生時代の彼女は明るい子でしたが、今思えば、いつも自虐的で自信が無い発言が多かった気がします。「どうせ…」「でも自私は…できないし…」という言葉を口にすることが多かったのです。

そんな彼女にの明るさの裏にある悲壮感を見て、そのギャップがかもしだす不思議な部分に彼女の魅力を感じていましたが、彼女の抱える問題はそんな生易しいものではなかったのかもしれません。

 

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彼女の幽体離脱の話は今になって思うと、現実からの逃避や乖離に近い状態だったのでしょう。夜、眠りにつこうとすると彼女の魂は肉体を抜け出し、自由自在に移動できる…。空から見る地上の景色から、私たち人間の日常が見えて「面白い」と言っていたました。

 

シュタイナーの理論では7歳までの人間は『夢の中』だといいます。幼ければ幼いほど感覚は純粋で繊細で鋭く、現実(見えているもの・聞こえてくるものなど)を感覚で受け取り、まだ浅い自分の経験から処理するゆえに、夢の中に居るといわれます。

大人になってしまうと非常に現実的な物事の捉え方をするようになりますが、子どもの頃のあの夢心地でだれもが超能力者になれるような感覚は、人間の想像力の幅の広さを物語っています。

一辺倒な知識や社会的な拘束がなされていない子供の想像力は豊かです。そして、子供は独りでは生きていけません。保護者の存在が必要です。保護者が現実的で大人の感覚を子供に押しつけようとすればするほど、子供にとってその世界は窮屈となり、回避策として持ちうる感覚をフル稼働して非現実の世界に身を置き、安らぎと得ようとするものだと思います。

B子の場合、もともともっていた繊細な感覚も相乗して、本人が「霊感がある」「幽体離脱ができる」と思うようになったのかもしれません。ここは想像の域を脱しませんが。

 

大人になったB子はスピリチュアルと出合ったでしょうか?今は何をしているでしょうか?

自らの霊能力を活かした仕事をしているのでしょうか?

それは、分かりません。

ただ、ひとついえるのは、B子が持っている霊的な能力は、一般人が持ちえない特別なものというものではなく、彼女の資質ととりまく環境によって備えられた、自らを守るための超感覚だったのではないでしょうか?

 

特別な人に特別な能力を授かるというものではなくて、もともと繊細で鋭敏な感覚が、さまざまな経験と知識を重ねていくうちに、思考で処理されていくようになりながら自分に都合よく整えられていくものが、自分を取り巻く環境の影響がより繊細で鋭敏でなあることを強いて、その処理を思考よりも想像力を用いることで、どんどん非現実的な世界と現実世界の垣根が薄らいでしまうのではないかと考えます。

7歳までの夢の中がどんどん延長され、大人になっても夢の中から脱することが出来ないことがあるのではないかと、私は考えています。

先に出したシュタイナーの理論を挙げると、7歳以降は自分と外界の区別がつき、14歳以降になると自我が確立し始め、現実を捉え思考を用いるようになるのだということを考えると、何らかの要因で、その成長がうまくいかずに、夢の中の感覚を引きずって大人になる人というものは案外多いのではないでしょうか?

 

子供のころにうけた環境は、大人になってからこそ大きくその影響をおよぼします。そこを、より理解しようとすることは、自分自身を知るうえで非常に大切なことだと思います。