脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

7-2 承認欲求の問題を考える

こんにちは。斬り込み隊長です。

当ブログ再開にあたっては、あまりテーマに縛られず、あくまでも『余談』として日々思うことを書いていこうと思います。よろしくおつきあいください(^^)

 

承認欲求の問題を考える

スピリチュアルや自己啓発ビジネスにハマる人の承認欲求の関係については、当ブログ記事でもいくつかお話ししています。

3-2承認欲求とスピリチュアルの深い関係

5-2自分の中にある承認欲求に対峙する

などです(過去記事を未読の方は、ぜひ1-1から通して読んでいただきたいです)

 

心と身体に不調をきたす『魂のストレス』の大きな原因として、私はずっと前から承認欲求が深くかかわっているのではないかと考えていました。そして、たくさんの人との対話の中で、私が抱いていたこの重要なポイントはかなり明確になっています。そこで、当ブログの読者の方だけにお話ししようと思います。

 

承認欲求は健全であり、かつ、不健全でもある

自分のこと、自分の行いを周囲に認めてもらいたい、という欲求は誰にでもある人間であれば当然持ち合わせている欲求です。ですから、承認欲求自体は悪ではありません。

問題なのは、自分で扱いきれない状態になった承認欲求です。ほとんどの人が、自分で扱いきれているか否かの判断はできません。そこで、自分で扱いきれない状態になっている承認欲求についてできるだけわかりやすく書いてみようと思います。

 

【自分で扱いきれない承認欲求が出す行動サイン】

①他者の言動・行動に対して、自分の基準に合わないとつい批判的になる。

②他者からのマウンティング行動が気になる、マウンティングされやすい。

③感情の中で「怒り」や「傷つき」が特に強く感じやすく、疲れやすい。

④誰かに(何かに)「~してあげたい」と思うことが多い。

⑤依存気質(物質依存・行為依存・プロセス依存など)

 

①他者の言動・行動に対して、自分の基準に合わないとつい批判的になる。

自分の抱えている問題はさておき、他人のことを心配したり、他人の状況について批判的だったり、、、つまり、「自分の事ではなく、他人事に自分の思考の軸を置く」状況です。

特に、心の中で大きくひかっかる他人の問題は、実は、自分の中で抱えている問題とリンクします。が、自分事に対しては向き合う勇気が持てません。ですから、他人に投影してしまうのかもしれません。

独りでいるとき、、、悶々と誰か(自分ではない人)の問題について考えるようであれば①の状態に陥っているといえましょう。こういった方々は、他人思いの優しい人や、しっかりとした考えを持っている人、、と思われることが多いです。が、実は、「他者の事に顔を突っ込み(自分のほうがマシ)と認識したがっている」状態です。自分のほうがマシ=自分はまとも=承認欲求(主に自分で自分を認めたいという承認欲求)です。

自分で扱いきれない承認欲求は、他人軸の思考に陥らせる危険があります。

他人(ひと)は他人(ひと)、自分は自分 の思考に落ち着けないところに問題があります。

 
②他者からのマウンティング行動が気になる、マウンティングされやすい。

「マウンティング」は一方が被害者だと考えがちですが、実は、マウンティングするほうもされるほうも、同種の承認欲求の激しいぶつかり合いから生じるものだと私は考えます。

マウンティングしたくてたまらない人は、ターゲットが必ず存在します。ターゲットにされない人もいるわけです。この違いは、「同じ思考(エネルギー)を持つ同士の引き寄せ」てきな力が働いています。

分かりやすいマウンティングに遭って困っているなら、ただちにそういう人から離れればいいだけです。ところが、面倒なのは、マウンティングに気づかず、(ある意味)マウンティングをモチベーションにすり替えてしまうケースで、この場合、スピリチュアルや自己啓発にハマるきっかけになることが多いようです。

少し前に流行った「キラキラ女子」の間でも、このケースが起きやすいようですね。SNSリア充ライフ合戦がこうした人のモチベーションを上げているのかもしれません。やたらと人脈を広げることが好きで「すごい!」「素晴らしい!」と称賛しあいますが、心のどこかで「彼女(彼)になんて負けない!」という強い闘争心を抱きます。それがストレスになる人もいますが、こうした人脈が自分の生活が充実させているように錯覚しやすいので、渦中に陥れば陥るほど、自分が周囲に巻き込まれていることを忘れます。SNS経由のサロンビジネス的なことに夢中になる人もいます。カモになりやすいので注意です。

 

③感情の中で「怒り」や「傷つき」が特に強く感じやすく、疲れやすい。

承認欲求が抑圧されている人は、他人のささいな言動で「怒り」や「傷つき」を発生しやすいです。ところが「抑圧」しているので、この「怒り」や「傷つき」の感情すら封じ込めようとします。こういった人はたいてい身体の不調をきたします。実際に病気の原因となることも多いです。

実は、非常に大きな承認欲求を持ちながらも、それを必死に心の奥に封じ込めて「できるだけ普通にふるまおう」としてきた過程で、承認欲求は強いエネルギーをため込みます。ためこまれたエネルギーは行き場を失いますから、限界が来ると精神面や身体面に不具合を生じ(病気になる)させてしまいます。

多くは、生まれ育った家庭(毒親)によって、主に精神面が健全な育ちができなかった人に起こりやすい現象です。過剰な期待、過保護過干渉、機能不全家族等々、家族とのエネルギーバランスが偏っていたり、乱れていたりした中で育った人が「こじらせ」やすいのが承認欲求である、と言えます。

子供が安心安全な環境で「ありのまま」でも十分に承認され愛されている実感を伴って育まれていれば、すでに自己の地盤がしっかり築かれているので、他者の言動や行動によって自分が強く怒りを感じたり、深く傷ついたりすることはありません。自分の中に満ち足りていない部分が刺激されていることによって「怒り」や「傷つき」が発生します。

 

④誰かに(何かに)「~してあげたい」と思うことが多い。

日本の経済が悪化して、公助から共助へと政治自体もシフト、奨励されています。ボランティア精神は尊いものですし、助け合いは社会性が必要な生き物である我々にとっては重要な思考です。

が、自分の生活を犠牲にしてまでのボランティア精神や、他者が望んでいないことに対してまで「~してあげたい」と思いを馳せる思考は、誰か(何か)のためではなく、たぶんそれは「自分のため」から起因しているものであると考えます。

ですから「癒しビジネス」を代表としたスピリチュアルビジネスや、「成功へ導くビジネス」を代表とする自己啓発ビジネスに、自分の承認欲求を満たすためにクライアントをカモにするケースが多いのです。慈愛に満ちた発言やパフォーマンスでクライアントを獲得しながら、彼らをカモにする人(エナジーバンパイア)も多く存在しますので気を付けたいところです。「いい人」に思えるエナジーバンパイアです。

 

⑤依存気質(物質依存・行為依存・プロセス依存など)

これは、多くの人がご存じのことだと思います。承認欲求が満たされない「欲求不満」や「不安」を解消するため、が依存の大きな原因と考えます。

スピリチュアル依存、自己啓発好きな人は、受講するセミナーやセッションなどによって歪んだ承認欲求を満たそうとしているのかもしれません。一時的に「分かった!」「満たされた」つもりになりますが、腑に落ちるところまでは行きつくことがありませんので、同じような「欲求不満」や「不安」に心が乱されます。そのたびに、新しいスピリチュアルメソッドや自己啓発メソッドを探しますが、いくら続けても、いくら新しいものに飛びついても、根本的な解決(安心と自信を手に入れる)ことはできません。

スピリチュアルや自己啓発は薬物やアルコールなどのように、明らかに社会的に問題をきたす依存症でないので、まだ健全なのかもしれません。が、くれぐれも浪費に注意してください。

 

承認欲求はバランスを崩すと厄介です

承認欲求は、本人が状態を測ることができないのでとても難しい問題です。が、承認欲求の状態が自分の人生に大きく左右する、ということを知るだけでも、十分な価値があります。

突破口は見えなくても、突破の必要があるかどうかは自覚できるからです。

承認欲求は自分の中に在るものです。ですから、自分で自由に整え直すことができます。元来、誰かに認められたからといって、何かが大きく変わるわけではないものです。大事なのは、自分で自分を認める、信じる ことができているかに集結すると私は思います。

そのことに焦点を当てて、自分の心の中と向き合ってみてはいかがででしょう。

外から得られると思っていたものが、実は、自分の中にすでに在るとしたら…。

セミナーもセッションも不要だったということを。

自分は自分を持て余して苦しくなり、避難所(スピリチュアルや自己啓発)に助けを求めていただけだということを。

自分を持て余していた強いエネルギーは承認欲求だったということを。

自分を助けることができるのは自分自身だということを。

 

不要で重いエネルギーを取り払ったとき、あなたの心と体は軽くなり、やっと本来の核(アイデンティティー)の片鱗が見えてきます。それを、大事に大事に、自分で育ててあげてください。