脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

6-2 提言ー2020年4月

2020年4月7日より、7都府県で緊急事態宣言がされることになりました。

新型コロナウイルスの脅威はいまだ衰えを知らず、広く感染を拡げようとしています。この世の中は私たちが思う以上に脆く、それまで当たり前だと思っていた日常が簡単に奪われてしまうという現実を経験しています。

 

コラム6で書いたように、このような世の中の混乱時に最も気をつけなくてはならないのは、ウイルス感染拡大への防止対策がまず第一ですが、それと同様、いやそれ以上に心まで感染の猛威に屈してはならない、ということです。

人々は、特に、平和な世の中に生きてきた今の私たちは不安に対して非常に弱い

混乱期には、人々の心のよりどころになる(思想)を利用して、人々のアイデンティティを奪う行為が(救い)を称して広まりやすくなります。

例えば、奈良の大仏(廬舎那仏)が造られたのは、飢饉や疫病の発生で混乱した世の中を鎮めるためでしたし、鎌倉新仏教の発生も末法(釈迦の没後1500年)に対する不安と、貴族の摂関政治の衰退からの武士の台頭という混乱が重なったことが大きな要因であったといえます。

つまり社会の混乱は人々の価値観を大きく変えざるを得なくなります。このタイミングで(思想)(宗教)が人々の心を惹きつけます。

ですから私は思想も宗教も100%否定するつもりはありません。が、【社会の混乱と人々の不安】に乗って、利を得るために(思想)と(宗教)を利用することに対しては断じてあってはならないことだと思っています。それは、マスクを高値で転売するような下品で愚かな行為だと言いたいのです。

 

今回の新型コロナウイルスは、これまでの長い歴史においてたびたび発生した疫病や感染症の大流行となんら変わりがありません。この世において特別に起きたことではなく、ある意味自然発生的な出来事なのです。

地球を舞台にして主人公を人類だと考えた時、人々にとって特別なことだと思ってしまうのはしかたありませんが、私たち人類以外にこの地球上にはたくさんの生命、エネルギーが存在するのです。自然の摂理の中に人類が一種の生命体として存在しているだけです。そして、その人類の繁栄にとって非常に不都合なウイルスが発生した、ということだけなのです。

人類にとっての試練は、これまでの叡智を使ってどうにか乗り切るしかありません。そのために、私たちはこれまでの日常生活を制限して、感染拡大を阻止しようとしているのですから。

 

そうした、自然の摂理の中に私たちは生きている。生きていくしかない、のです。そして、人間がこの自然の摂理を自分たちの利のためにコントロールしようとしてはならないのです。それは、不可能なことなのです。

 

現在の状況下では、次のような話を耳にする機会が出てくるかもしれません。

 

新型コロナウイルスに感染しないために、波動を上げようと奨励されること

→そのために、波動を上げる品の購入を勧められる。

→そのために、波動を上げるためのセッションやヒーリングを勧められる。

 

・浄化と称した商品やリーリングを勧められること

 

・収入減からの脱出のために、引き寄せグッズの購入や講座受講を勧められること

 

・「大切な人を助けるため」と称して、サイキックな力を得るための講座やセミナーを勧められること

 

・この状況は地球全体のアセンションだと称して、アセンションに取り残されないためのグッズやスキルを勧められること

 

・孤独からの不安をぬぐうために、宗教集団(グループ)に勧誘されること

 

このようなことがあちこちで見られるでしょう。

実際、スピリチュアルジャンルの無料ブログなどをちょっと検索するだけで、上記のような話はたくさん出てきます。

 

波動が高ければ救われる…ということではない。

ヨーロッパでは、コロナ感染者の臨終の場に立ち会った宗教者(神父や牧師など)たちが、感染によって命を落としています。彼らは「波動が高い」はずの人なのに。

・・・つまり、関係ないのです。

いままで美しく崇高に語られてきたはずのスピリチュアルの論理が単なる精神論の一種であり、万能をもたらす真理ではないことが、明らかになる機会でもあるのです。

大切なのは自分自身。有名なヒーラーやスピリチュアルカウンセラーの言葉ではない。自分自身を信じ、自分の意思と感情で選択しながら生きる、、ということです。

 

波動というのは「自分の心(精神)にとって心地良いこと」。ただそれだけです。それは、いわゆるマイナスイオンのようなもので、滝の細かなしぶきに触れてスーッと気持ちよく感じる、ただその程度のことなのです。要するに、「気持ちの問題」ということです。

タバコが大好きな人が3日間苦しい禁煙をして、がまんしきれず、1本を口にくわえて煙を吸った瞬間…。この人にとっては、波動が上がったと感じる、、、そういうことです。タバコは身体に害をもたらします。毒です。でも、中毒性があり、愛煙家にとっては心地良いストレス解消の品です。そういう人の一服は(快)となります。

波動とは、極めて主観的なものなのです。

 

道徳的に善いことが明確であれば、善意ある人にとってそれは(心地の良い)ことです。それを(波動が高い)と感じるのです。

 

新型コロナウイルスは未知の部分が多い脅威です。不安要素が多い、つまり、私たちにとっては不都合なもの(=心地良くない)つまり、波動が低い…。だから、私たち人類の波動を上げれば、新型コロナウイルスは撲滅できる…と言い出す人が出てきます。

波動を上げる水、波動を上げる砂糖玉、波動を上げる石…そのようなものが高値で売買されるかもしれません。が、けしてそのようなものを騙されて買わないように。

 

もし、波動というものがあるとするならば、私たちにとっての波動を上げるものは「知識」です。しかもエビデンスに基づいた、アカデミックな情報、どの情報を信じるに値するか、そのジャッジができる力を持つための知識を得ることです。この困難を乗り切るには、私たちは謙虚な気持ちで学び続ける姿勢をもつしかありません。

精神論や根性論、スピリチュアル論などでは乗り切れないのです。

 

けして、けっして、ここだけは見間違わないでください。

 

そして、自分の身を守る(感染しない、感染を拡げない)ことに精いっぱい努力することです。それしか、現状で救われる道は無いのです。

 

自分の意思(アイデンティティ)を持つことがいかに大事か、ということが今回の状況で明らかになりました。自分だけは「助かりたい」という気持ちで視野を狭めないでください。自分は(誰かを)「助けたい」と思って、今できることに注力するのです。それは、感染を拡げないこと、日々の生活を守ろうとすることです。

 

身の危険を冒して、感染者の治療に当たっている医療従事者がいます。

人の命を預かっているために、仕事を制限できず感染の危険の中にいる人もいます。

そういう人たちの尽力に少しでも力になりたいと思うのであれば、今は、

・感染を拡げないことに集中すること

・根拠が明らかでない情報を信じないこと

・つつましく落ち着いて日々を暮らすこと

この3点だと私は思います。

 

 

けっして、うまい話、つまり自分に都合のいい話を鵜呑みにしないでください。

このような状況だからこそ、スピリチュアルからいちど離れてください。

 

スピリチュアルは平和な世の中に生きる人に与えられた心の余興みたいなものです。いわゆる贅沢な遊びのようなものです。

 

「生きること」に必死な時、それは贅沢すぎて無駄なものに変わります。

 

今、必要なのは、あなたの命、そして、大切な人の命、そして、あながた今まで築いてきた大切なお金です。贅沢過ぎて無駄なものに使わないでください。

 

今、スピリチュアルの商売を勧めてくる人がいたら、その人はもうあなたには不要な人だと判断できます。困った時、不安な時に、優しい言葉を使って商売しようとする人は、私から言わせていただけば「波動の低い人」ですから。