脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

7-1 コロナ禍ですが、心は健康ですか?

お久しぶりの更新です!

最後の更新から1年以上が経ちました。

お久しぶりです。お元気でしたか?

 

ブログ主である私自身、この場(当ブログ)の存在をすっかり忘れた日々を過ごしていたのですが、ひょんなきっかけで思い出し、バックナンバーを改めて読み直すと…。近未来予測の記事など、、、なかなか当たっているようで我ながら感心しています(笑。

あの記事を書いたのは、まだコロナ禍が日本に到来して間もないころでした。あれから1年9カ月余り経ちましたが、世の中はいまだ落ち着きを見せないどころか、このところ日本列島の地震や火山活動の活発化で、さらに不穏で不安な空気が漂い始めています。

・・・そんな時だからこそ、『自分の中に信(芯)を持つ』ことが大切です。

…ということで、時々ではありますが、記事をひっそりと更新しようと思い立ちました。

当ブログにご興味のある方は、ぜひお読みいただき、「この世に生を受け、生き抜く意味」について多少なりとも考えるきっかけになれば嬉しいです。

 

コロナ禍での生活はいかがですか?

私の周りには、仕事柄、立場柄、いろいろな人と交流する機会があります。詳しくは話しませんが、その中にはスピリチュアルにハマっている、と思われる人が何人かいます。

コロナ禍で人と直接会うことが難しくなり、オンラインの活用が盛んになったこともあり、SNSなどからオンラインセミナーやオンラインサロンなるものが「おすすめ」されたり、スピリチュアルや自己啓発にハマっている「友達」経由で、いろいろな金儲けのお誘いを受けているようです。

人の動きが減ったため、商売が滞っている業種がある一方で、こうした「オンラインビジネス」が台頭しているようにも見受けられます。ただし、ここに引っかかる人は、相変わらずの人種ですけれど…。こうした人達が微力なりとも日本経済を動かしてくれることは有難いことなのかもしれません。

 

セミナーや癒しの先にいったい何を??

自宅にいる時間が増えているせいなのか、自己啓発系のセミナーやスピリチュアル系のヒーリングにあっちこっち参加している人がいます。仕事で会うことがあるのですが、そのたびに、今夢中になっているセミナーやヒーリングやイベント…の話をしてくれます。(私は興味本位でついつい聞き出そうとしてしまうのですが…)

この方の求める先にいったい何があるのか?は、ズバリ!なにも明確なものはありません。こうした機会に参加していること自体に安心感を得て、新たな学びを得たと満足するのです。ただし、心から満足しているのではなく、たとえば、おでん屋に行って、大根とバクダンとちくわぶを注文して、、、そのあとちくわ、はんぺん…まだまだイケる…。そんな状態です。

おでん屋でいろんなネタをいただけることに満足しているのです。自己啓発やスピリチュアルのセミナーでいろいろなネタに触れたことで満足している、、、ということです。

おでんであれば、お腹いっぱいになりますが、自己啓発もスピリチュアルもお腹いっぱいになるどころか「もっと!」「もっと!」状態に陥ります。依存です。

胃袋は物で満たされますが、心はけっして満たされません。

 

こうした方が、スピリチュアルや自己啓発セミナーで得たいと思っているものは、

・承認欲求

・自己肯定感

の2点「(周りから)認められたい。(自分で自分を)認めたい」欲求です。が、たいていはその主催者も「同じ穴の狢」なので、主催者が承認欲求と自己肯定感を得るために参加者はカモにされます。(この構造が、スピリチュアルや自己啓発に引っかかる人の主な原因です)

 

セミナーやセラピー、ヒーリングで、「自分を愛する」ことができたと錯覚しますが、そのほとんどが単なる錯覚で終わります。「その気にさせられている」だけです。

なぜ、そのようなことが言えるかというと…。

もし、承認欲求や自己肯定感が満たされれば、スピリチュアルも自己啓発も不要になるからです。そこから先、「自分がやりたいこと」を手に入れ、そこに向かって邁進するからです。

でも、それができない。できないどころか、「自分探し」「やりたいこと探し」に迷走し、迷走=スピリチュアル・自己啓発依存 をうっかり「自分がやりたいことに出会えた」と勘違いするのです。

 

そうした過程を経た、スピリチュアル、自己啓発セミナー主催者がこの世の中には、たくさんいます。

 

誰もが何かの依存症

ただでさえ、生きづらい世の中です。何かを頼り"安心”したい気持ちは理解できます。もちろん、胸を張って「自分は、スピリチュアルや自己啓発があるから生きていけるんだ!」と言う人は、どうぞ、そのまま沼にハマって、延々とカモられてください。それもひとつの在り方です。でも、これって、新興宗教ネットワークビジネスと同じですよね…。

こういう人たちに「そろそろやめませんか?」とは言いません。好きに、ご自由にしてください。

ただし、これによって家族や周囲に迷惑をかけるようであれば話は別です。あなた自身がそれで幸せならかまいませんが、その幸せの背後に、困っている大切な人がいるとしたら、、、それは、本末転倒です。大切な人を困らせて、自分が幸せになれると思えるものでしょうか?

散財し、家族バラバラ、大切な人たちが離れていって、、、残るものは何でしょう?

「依存症」と言われるのは、本人および身近な人たちの日常生活に迷惑をかけるようになったときです。それを病的なことだと判断し、治療が必要とされます。

 

自分の心の安寧を得るために、趣味などはあって当然です。私たちは人生を楽しむために生きているのですから。でも、それらは、地に足の着いた生活とともに在るものです。経済面でも精神面でもバランスよく関わってこそ楽しめるものです。

度が行き過ぎて、バランスを崩し、いっそう不安を強くして、さらに散財の道を突き進んでもその先に出口は見当たりません。迷い道の奥の奥へ入り込むだけです。

迷い道には、あれこれと手ぐすねを引いて待っている商売人が、不安でいっぱいのあなたに楽しそうなアトラクションを見せてくれます。アトラクションには「金運」「良縁」「(ストレスからの)解放」「美と健康」と掲げてあります。

 

とある新興宗教の集会の帰路につく集団に出くわした時のこと

普段は静かな公園に接する歩道です。ある日、私がその道を歩いていると、対面からたくさんの人が歩いてきました。たくさんの人の量に驚いたのと、集団が纏う暗くてジメジメした空気に、私は道をまっすぐ進むことができず、脇道に逸れてその集団とすれ違うのを回避しました。「この人たちは一体、何?」

後日、近所に住む知人に聞くと、この公園の近くに、とある新興宗教の集会所があるとのこと。私は、たまたまその集会から帰る信者さんたちに遭遇したのでした。

信心によって幸せを得ているはずなのに、なぜか、暗くてジメジメした空気が充満していました。私はオーラが見えるなどということは言いません。(が、人の持つエネルギーをある程度感じることはできます)矛盾しているのです。幸せを得ているはずなのに、暗すぎてみな同じ顔に見えてしまうのが…。

一体、この雰囲気は何なのか?と思ったとき、スピリチュアルにハマっている人たちが纏っている空気感と似ているな、と思いました。何かが足りない…。何が無いのか?

そうです。彼らから『自分アイデンティティー)』が伝わってこないのです。みんな同じに見えるのです。何かを信じ込まされていて、自分を失っている状態です。

その時、自らを「サイキッカー」と名乗るある人物を思い出しました。彼女は、完璧なスピリチュアル依存であり、陰謀論信者です。スピリチュアルにハマった成りの果て…です。

 

同じ意識を持つ同士が繋がる

スピリチュアルにハマっている人は、類友同士で繋がります。それは、リアルな場で友達がいない人がSNS上で知り合い、申請承認し合う「友達」と似ています。同じエネルギーを持つ者同士が繋がります。これは、エネルギーの法則といえましょう。

ですから、繋がっている最中は、何も疑問も感じず、違和感もないでしょう。逆に、心地よく、幸せで「やっと出会えた」心通じた仲間と思うことでしょう。

でも、こうした「自分の軸が無い」人は、本人の心の状態も、人間関係もブレやすいのです。そして、背景には強い承認欲求がありますから、穏やかな空気の背後に、強烈なマウンティングが展開されていることもあります。ですから、トラブルも多く発生します。

結局、居心地が悪くなって立ち去る時、「ステージが変わった」と言っているようですが、それは自分に都合よく言い訳しているだけです。単に、隠れマウンティングや承認欲求のぶつかり合いに疲れ、そこから逃避しただけです。

新興宗教でも、スピリチュアルや自己啓発の業界でも、段階やランク的なことが頻繁に用いられるのは、ワンネスやボーダレスなどを言いながら、結局「自分は特別」感を満たしたい欲求の上に乗っているマスターベーションだからなのです。そこには、必ず金銭授受が発生し、カモにされる人が発生します。

 

あなたを救うのはあなた自身

ヒーラーや講師に、あなたを救う力はありません。あなたから金とエネルギーを吸い上げる力はあります。

あなたは自分を信じて、自分自身を救うしかありません。

そのために、自分の育った環境を見直すのです。ほとんどの人が、毒親からの影響を受けて育っているからです。そこにフォーカスし、自分で自分の育てなおしをしてはじめて、「アイデンティティー」が育まれます。そのためには、スピリチュアルからいったん離れることです。波動やアセンション、許しの思考からいったん離れることです。

あなたという人間がどのような環境で育まれたのか、そこでどのような信念や価値観、思い込みを刻まれてきたのか、というような自分の育ちを見直さない限り、いつまでも、スピリチュアルや自己啓発に依存し続けカモにされ続けるしかないのです。

あなたの心の奥の奥に刻まれた信念や価値観、思い込みが、あなた自身を縛り傷つけ、苦労を背負おうとする負の引力を発生させているかもしれないのです。

同じエネルギーを持つ者同士が繋がりやすいからこそ、スピリチュアルにハマっている人はぜひ、いちど離れて、自分のこれまでの行いとそこから得たものを一つ残らず書き出してください。どんなセミナーやセラピーを受けましたか?いくら使いましたか?そこで何を得ましたか?…等々。

書き出したものを目の前に置いて、「なぜ、いまだスピリチュアルや自己啓発を求めているのか?」を考えてみてください。

もし、これらにあなたを満足させるものがあれば、とっくのとうに、あなたは、スピリチュアルや自己啓発から(それらが不要になり)卒業しているはずです。

私は、真面目で頑張り屋で親思いの優しいカモの方々に、お金もエネルギーも費やさず、不要な依存から抜け出せるきっかけを作りたいと思い、このブログを立ち上げました。このブログは読むだけです。読んで、ご自分のこれまでの行いを振り返るだけです。お金は不要です。あなたの心を満たすために、スピリチュアル商売に自己啓発ビジネスにお金を払う必要がありますか?