脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

4-2 質問コーナー:「スピリチュアルと金儲けの線引き」について

【問い】

「脱スピ」の一番の理由は「お金儲けのためのスピリチュアルをさけること」だというふうに理解しておりますが、その「お金儲け」となってしまう線引きはどこにあると考えますか?つまり、「これならお金を払っていいけど、それ以上はよくない」というところはありますでしょうか?それとも、理想的にすべてのスピリチュアル的なサービスが無料で提供されたほうがいいでしょうか?

 

【斬り込み隊長からの答え】

私がお伝えしたい「脱スピリチュアル」には大きく分けて2つの理由があります。その一つは、ご質問者様が仰る通り、

(スピリチュアルを金儲けのコンテンツとして利用されることで、本来のスピリチュアルから逸脱する)

ということにあります。

線引きは非常に簡単で、以下の3点が線引きの要素だと考えます。


①無料ブログやSNSで集客しているもの。
「スピリチュアル」をテーマに無料ブログを利用して集客を目的とした記事を書き、個人的なセッションを行っているような商売は、どれも(スピリチュアルごっこ)遊びのカモを探しているのと同じです。
文字通り、『海老で鯛を釣る』行為です。大半は、ブログ主の思い込みスピリチュアル論の押し付けであり、クライアントを癒すといいながら、クライアントを使ってブログ主自体が癒されようとしています。

(自分はコレで救われたから、アナタにもコレをオススメしたいの・・・)ということです。ですから、私はこうした商売がネットワークビジネスとの親和性が高いと言っています。あくまでも個人的な相性や思い込みの部分を、他人に押し付ける勇気が無くては成り立たないビジネスです。

 

多くの人は、同類のブログで集客している「集客ブログ記事の書き方セミナー」「集客メルマガ講座」「SNS集客セミナー」などのような集客目的の講座やセミナーを受講します。ブログやSNSを頻繁に更新する一方で多くの人に「いいね」の足跡やコメントで足跡を残し、自分のブログに誘導します。

こうした人たちが今は多すぎるので、集客戦略としてはすっかり古いやり方ですが。


スピリチュアルをコンテンツにして個人的に商売を始めようとする人は、(過去の困難や生きづらさをスピリチュアルで救われた)人たちであり、本人がクライアントの立場にある人であり、クライアントを持つことができるほどカウンセラーとしてセラピストとしての度量やスキルが備わっていない場合が多すぎます。
とはいえ、あくまでもごっこ遊びに参加したいという意思があるのでしたら、あくまでも参加する本人の選択の自由がありますから構わないと思いますし、もし、それで「騙された!」と文句を言うようなら、その選択をした本人の自己責任ですから文句を言うのはお門違いなのではないかとも思います。そのようなリスクがあることを承知の上で、選択することが「自分の意思で生きる」ことです。


②「免許皆伝」制を行っている組織的グループ

私のアメブロの記事に貼った画像を、そのまま載せます。

f:id:kirikomi-taicho:20190916122328j:plain

儲かるのは最上位(教祖)のみ

師弟関係を持つ文化活動などが多く培ってきた「免許皆伝」システムは、金儲けの観点からしてもとても効率の良い方法です。伝統文化などのように後世への継承がマターなものもありますからこの構造の全てを否定するつもりはありませんが、上図のように、この関係性を商売に取り入れられることに成功すると、最上位に行けば行くほどもうかる仕組みを形成できます。

とはいえ、この仕組みづくりに成功するまでに組織的なグループに成長させた団体はほとんどなく、この形に近い組織づくりに成功して「最上位者(教祖)独り勝ち」の団体は、散見されています。

高い金を支払って免許を手に入れ、自らが「〇〇認定講師」や「〇〇認定セラピスト」と看板を掲げて商売を始めようとしても、彼らが儲かる側にはなかなか行きつきません。それは、ネットワークビジネスの会員になったけれど、誰もがうらやむ高額収入を得る人がほとんどいないのと同様です。

私自身は、本来のスピリチュアルというものは、こうした人間のエゴが創り出す組織的な構造に巻き込まれないことだと思っています。ですから、スピリチュアルにからんだ免許皆伝制のある組織は、ただのビジネスだと言っているのです。

 

③病気からの快復、健康問題にからんだもの

誰もが求めてやまない究極の欲求は「死の回避」です。この欲望を使った(あやしい商売)がどれだけたくさんあることか、、、そして、どれだけ多くの人がその犠牲になったことか、、、

「治る」を謳ってスピリチュアルを売り物にした商売を私は否定します。「治る」か「治らない」かは本人のみが受け入れるものです。他人の力が及ぶものではありません。

一方で、この世の自然の営みに人体を照らし合わせ身体を調整するもの、鍼灸や整体などのような施術は昔から多くの人たちの健康づくりに役立てられてきました。ほかにも、代替医療統合医療などの考え方も、西洋医学の限界から見出されてきたものであり、それらを否定する考えはありません。

それでも適正価格というものがあります。(あん摩マッサージ指圧師)のような国家資格のある人が行う一般的な鍼灸院の価格を参照してもらえればよいかと思います。また、代替医療統合医療などについては、それらの理解があり保険診療を行っている医師に相談することをおすすめします。

どのような治療や施術を選ぶかは、あくまでも患者本人の自由です。自由だからこそ、ご本人が偏った考え方や思想に巻き込まれず、多角的な情報を得ながら「自分が受けたい」と心から思うものを選択して欲しいと願うばかりです。

 

最後に、スピリチュアルとの上手な付き合い方について、私の個人的見解を書かせていただき、「脱スピリチュアル」の残り1つの理由

(スピリチュアルはこの世に生きるものすべての魂を差し、ひとり一人の生き方そのものであるから、商売にならない)

ということをお伝えしたいと思います。

 

スピリチュアルについて考えたいのであれば、まずは多くのジャンルの本を読むことです。図書館で借りることが出来るなら、興味のあるものはどんどん借りて読んでください。その時、一方に偏った内容の本ばかりを読むのではなく、対極する論理を挙げたものも読んで双方の主張について考察します。例えば、スピリチュアルによくありがちな「宇宙からの~」シリーズなどは、その考え方ばかりに囚われると自分が宇宙と繋がることにばかり意識が向き、自分の軸を見失います。宇宙モノの話を読むなら、物理学や宇宙理論の本も読むべきです。

 

私は、スピリチュアルとはこの世の自然摂理、人間の場合ではいわゆる(魂)そのものだと思っています。誰の主張が正しいとか正しくないとか、そういう論理に置かれるほど狭いモノの考え方ではなく、宇宙の果てについて考えるように、「答えのない問い」に向き合うことに近いことだと思います。自分の魂が尊いように、他者の魂も尊い、道端で咲いている雑草も、台所から出没するゴキブリも、、、「一寸の虫にも五部の魂」とはよく言ったもので、こう考えれば、だれもが同じく、そしてだれもが本人の真実の下で生きているのです。

自然に生きること、自分の魂も他者の魂も大切にしながら生きることは非常にシンプルなことで、自分を思いやり、他者を、周囲を思いやりながら生きることがスピリチュアル活動そのものだと思います。ですから、商売にならないと言っているのです。ですから、広く知れ渡っているスピリチュアルの大半は、スピリチュアルの論理に商売を重ねたものであり、単なる「商品」「商売道具」なのです。

スピリチュアルのことで頭をいっぱいにしている人であればあるほど、このことについてもっと深く考えて欲しいと思います。

今の自分はたまたま、この時代に、この親を持ち、この人生を歩んできた。いいことばかりではなく、逆に辛い事が多かったけれど、日本という資本主義国で、戦争もなく経済も比較的に安定した時代に生まれ、教育を受ける義務が整い、納税義務もある、今現在を、自分を活かしつつ精一杯励むこと自体でもう十分立派に生きているのです。

とはいえ、生きていればいろいろな困難に遭うかもしれない。だからこそ、スピリチュアルが人の心の柔軟性を持たせるものとしてのコンテンツとして利用されて欲しいと思います。

その際、すぐに「誰か」の救いに飛びつかないで、まずはジャンル問わず、いろいろな本を読んで欲しいと思います。スピリチュアル系だけでなく、純文学やラノベでもいい。自分の人生はこの人生だけですが、本からたくさんの人生が経験できます。知識が人を救います。

すぐに、ブログで検索しないこと。検索上位に掲載されているものが正しい情報ではありません。

そして、文化的な活動を楽しむことです。心から「楽しい!」と思えることに身を浸す時間を作ることです。「スピリチュアルなことに触れることがソレです!」という人がいますが、スピリチュアルが(魂)そのものだとすれば、魂が「楽しい!」と思うことですから、ちょっと違うと思いませんか?

私は、日本の戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」や、高度成長期の「頑張れば報われる」や、バブル期の超物質主義の「金になるかならないか、無駄か無駄じゃないか」のような思想が、人間の本来の心の欲求である「文化的な活動」を邪魔したのではないかと思います。合理的なことばかりに集中しすぎて、心の欲求を封じ込めてしまった結果、新興宗教やスピリチュアルに心の欲求を置き場所を求める人を増やしてしまったと思うのです。

子どもの遊ぶ「おにごっこ」は、単なるおいかけっこ。なのに、子どもたちは心から笑い、楽しそうに遊びます。こうした、なんてことのない、でもとても楽しい遊びを知っている大人はどれくらいいるでしょう。

そういう行為が(魂)を喜ばせるのです。スピリチュアルな活動とはそういうことだと思います。

 

以上です。