脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

3-12 スピリチュアルつながりという居場所

スピリチュアルに傾倒してしまう人にとって、現代社会の問題を大きく映し出しているものがあると思います。

それは・・・『居場所の不在』です。

 

自分が他者と関わりながら気持ちよく居られる場所が、大人の社会になると少ないということは無視できない背景であると思っています。居場所がない人の多くがインターネットの世界にその場を求めます。まずは、ブログを読み、やがてSNSをはじめて、そこからグルーピングされた(同好会的グループ)へと導かれます。

 

現実社会での友人や知人の中に、自分の心の中をさらけ出して話せる信頼関係ができていること以上に、安心できる場所はないのですが、なかなかそれが難しい人たちがいます。

まずは、主婦層。「ママ友」という知り合いはいますが、しょせん我が子同士を比べて、心の底では僻みや妬みが渦巻く関係が多い。「ママ友」といえど結局は保護者同士の繫がりであり、自由な場で自分の意思で築いた人間関係ではありませんし、主役はあくまでも子供ですから、本心を語れる人間関係になりにくい。しかも、そこでのトラブルは日常茶飯事で、ストレスの元凶になっている人も少なくありません。

一方で、独身時代に築いた友情関係は、それぞれの立場の変化で疎遠になることも否めず、人との関わりが多いようで孤独感を持つ人たちが多いのは主婦層だと言えます。

その上で、比較的、生活にゆとりがある家庭を持つ人は、生きるために働かなくていい。・・・つまり、自分の心と身体のことや子供や家族関係に執心して、ブログを読み漁る人が多い。・・・結果、行きつく先がスピリチュアルというケースがどれほど多い事か。。。

スピリチュアルで稼ぐと言い出し、世でいうキラキラ系自営業と名乗る人の多くは、この主婦層の人たちだと思われます。

 

一方で、意外にも男性もスピリチュアルにハマる人たちがいます。

多くは、会社でうまくやっていけなかった人たちです。精神疾患で休職等を経験した人たちです。バブル時代、仕事依存で身を捧げながらも、家庭不和や病気等による挫折を経験した人たちが心理学を学び、それを利用した自己啓発という名のスピリチュアル系カウンセラーが、就職氷河期を経験した「がんばっても報われなかった」層に向けてセミナーを開き、多くの信者を集めています。この時代にちょうど就職した人たちは、世代的カルマを背負ってしまったようにも映ります。彼らは生まれた時代という意味で不条理な経験を多くしているので、(目に見えないモノ)に希望を抱くのは仕方ないかもしれません。

自分の不遇な境遇に(理由づけ)や(意味づけ)をして、「・・・だから、自分が(その人生を)選んで生まれてきた」というスピリチュアルの論理に救われたい気持ちも分かります。そして、心の奥に不条理を抱えた自己肯定感が低い人は、潜在的に自分以外のところに救いを求めているので洗脳しやすいのです。

 

スピリチュアルにハマる人と自己肯定感の低さは、私のブログの主題となっていますが、自己肯定感が低い人は本当に、生きるのが大変で辛いのです。

 

まずは、他者との比較からでしか物事の価値を見い出せられません。それは、アイデンティティーが確立されていないという証拠で、自分の中に確固たる価値基準が据え置かれていないからです。

誰かと比較し一喜一憂しながらも(できれば、だれよりも「上」でありたい)という気持ちを持っています。そもそも「上」とい概念も、本人のみが決めた上下関係であり、他者からすればその比較すら存在しないので無意味な事なのですが…。

他者との比較をすれば、必然的に劣等感に苦しめられることになります。子育てが(あの人たちより)上手くない。仕事が(あの人たちより)できない。家事が(あの人たりより)ヘタ。…そのような思いに襲われ、自分で自分を苦しめます。

 

その苦しみから解放された気になれるのがスピリチュアルです。

「あなたはあなたのままでいい」のです。儀式(アファメーション)を受ければ、(あの人より、この人よりも高い波動を持てる)高次元の存在に成れるのです。自分がスピリチュアルで商売を始めれば、弱った人たちに、『施(ほどこ)し』をして『救ってあげる』ことができるのです。

なんという承認欲求の強い、自己愛に満ちた行為でしょう。

 

ここに、自己肯定感が低い人がハマるのです。でも、自分への自信の無さはけっして拭うことはできないので、いつも誰かと繋がっていないと不安なのです。SNSであったり、仲間と集ったり、、、つまり、、

スピリチュアルに傾倒する者は、ネット依存、スマホ依存なのです。

 

これは彼らにとっての『居場所』なのですから手放せません。

自分が「このままでいい」ために必要なツールです。自分が「これでいい」と確認し続けたい大事なツールです。自分が承認されるために必要な場所です。

ブログを書いて「いいね」を押し合い、SNSでも「いいね」を押し合い、イベント告知をして人集めに精を出す…。

彼らは承認欲求と自己愛を満たすために、多くの人たちに仲間になってもらいたい、そのために、スピリチュアルというコンテンツで稼ごうとします。PRに利用するSNSは彼らにとって大事な「居場所」であり「スピリチュアルつながりを築くもの」なのです。

 


地球温暖化は加速し、『観測史上最大の降雨量』というフレーズをたびたび聞くようになりました。地震も怖いですが、大雨も恐ろしい。
スピリチュアルで商売する自称、高次元の存在を名乗る人たちは「雨は浄化」という無責任な言葉を発します。被害に遭われた方々を思うと、非常に遺憾です。


彼らが自分に都合のいい解釈で『魂が喜ぶことをしよう』という論理を真に受けてスピリチュアルの商売に金を出すくらいなら、被害に遭った地域のために寄付をしたほうが、どれだけ世のため人のため、次元の高いこをしているか・・・。


スピリチュアルに目覚めた人たちが自らを『幸せ!』と言うのは、
・スピリチュアルを語り合える類友ができた
類友と集える居場所が出来た
からであって、本質的に何かが変わったわけではありません。それまで(スピリチュアルに出合う前の不満だらけの)環境が変わり、出会う人が変わったことを『好転』と勘違いしているだけです。

今の自分をつくるルーツと、自分のコンプレックスや過ちには目を向けずに、『スピリチュアルでやっと幸せを手にした、悲劇のヒロイン』になりきって、自分を慰めると、
「自由にしていい」「好きにしていい」「喜ぶことだけすればいい」
という言葉に感涙します。

一方、アイデンティティーが確立されていると、
「自由にしていい」とは・・・「自分の意思で(YES)(NO)が言えること」
「好きにしていい」とは・・・「自分の意思で選択し結果を引き受けること」
「喜ぶことだけすればいい」とは・・・自分だけでなく自分を取り巻く周囲の人たちに対しても「喜ぶための言葉や行動を大切にできること」
となります。


スピリチュアルに依存した状態での(YES)と(NO)は、自分の意思に訊ねているものではありません。スピリチュアル的に(YES)なのか(NO)なのかを考えて決めているだけであり、彼らが傾倒した講師やヒーラーの言葉を鵜呑みにしているだけです。自分の頭で考えていません。自分の感情に向き合っていません。誰かの「教え」に従っているだけです。

スピリチュアルに依存した状態での喜ぶことは、自分が心から喜んでいるつもりになっていますが、スピリチュアル的な行動に「あぁ、これで自分は間違っていないんだ!」という勘違いに喜びを感じているだけです。



[スピリチュアル=魂]であるならば、商売になることなどありません。
なぜなら、『魂はアナタの中に在る』のですから。商売にしてしまった時点でそれらはただの商品であり、売り物であり、金儲けのアイテムです。つまり、「お客が喜ぶためにしつらえたもの」です。

ですから私はスピリチュアルで狂喜乱舞しているような浮ついた人たちのすることを、『スピリチュアルごっこ』と言います。子供たちが楽しむ『お店屋さんごっこ』のリアル大人版のことです。
お店屋さんごっこは、紙で作ったお金で済みますが、スピリチュアルごっこは、実際にお金がかかるし、自らの身を置く環境すら変えてしまいます。

それでもいいというなら、楽しめばいいと思うのですが、正しい思考力を失った弱者(悩む人、苦しむ人)を巻き込むのは、真っ当な商売だとは思えません。