脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

4-3 質問コーナー:「脱スピ」はスピリチュアルブームを変えたか?

【問い】

「脱スピ」というキーワードが広まり始めてから、スピリチュアルビジネスには何か変更はありましたか?「スピリチュアル」という言葉自体が少し避けられるようになったりしてきたこともあるかと思いますが、それは「脱スピ」と関係がある傾向かどうか確認しにくいです。切り込み隊長様のブログのおかげで、考えを変えた人の話もありましたら、ぜひ聞かせていただければ助かります。

 

【斬り込み隊長からの答え】

一時(いっとき)のスピリチュアルブームはだいぶ落ち着き、特にオカルトに類するようなコンテンツは鳴りを潜めた感もあります。これは、4-1の記事でお答えした通り、SNS発信が主導する目に見え易い世間の声に敏感になっているマスコミの影響が少なからずあるのではないでしょうか。

一方で、ブログやSNSなどでは相変わらずスピリチュアルネタは満載しています。今はインターネットの情報のほうが地上波テレビよりも「見る」という行為では上回っているように思われますので、スピリチュアルにからめた商売が衰退しているようには見えません。

東京ビックサイトで開催される『癒しフェア』の来場人数はまだ増加傾向が止まっていません。『癒し』はスピリチュアルとは違う概念ですが、実際に行ってみるとスピリチュアルコンテンツは数多くあります。ちなみに私は以前、仕事の関係(といっても、出展側ではないです)で『癒しフェア』に行ったことがあります。

「スピリチュアル」という言葉はマスコミによって広く周知され、やがて、インターネットが中心となってスピリチュアルをからめた商売が多く出回るようになり、同時に、ネットを中心に活動する個人起業が増えたことから、スピリチュアルネタのビジネスは増え続けています。

 

一方で、誰でもできるスピリチュアルネタの個人起業は、本来クライアントだった人が商売を始めることが大半なので、市場規模としては大きく変わっていないようにも思います。つまり、個人起業でスピリチュアル商売をしている人は(客の取り合い)または、(互いに客になり合う)だけであり、ビジネスとして収益を上げるというよりは、「個人のおこづかい稼ぎ」程度にとどまっている人が大半なのではないでしょうか?

スピリチュアルビジネスはだいぶ出尽くして、ある意味(ネタ切れ)状態にあり、クライアント(客)も、やがて起業する側に行こうとする(ほど、容易いコンテンツ、商材)なので、儲けるまでには行きつかないのが実情でしょう。

 

さて、そのような中で「スピリチュアル」とは大きく掲げずに、怪しさを前面に出さずに「自己啓発」や「心理カウンセリング」と称したセミナーや講座が増えてきました。オカルト的な怪しさは前面に出さず、社会人の自己啓発的な、メンタルケア的なイメージですが、クライアントはスピリチュアルにハマる人たちと同じです。

しかも、このタイプの自己啓発や心理カウンセリングも、スピリチュアルと同様に依存に向かわせます。カリスマセミナー講師の存在に依存させ、イベントに参加させ、免許皆伝制に誘導し、特別なセミナーで高額な費用を請求したりします。

 

本来、心理カウンセリングのカウンセラーとクライアントの関係は、単なるカウンセラーとクライアントの関係で、人間同士の密な関係性をあえてシャットダウンしながらも、クライアントの抱える問題をクライアント自身が自覚し表に出して自身の力で処理・対応しながら回復を図るためのサポートをします。ですから、カウンセラーはできるだけ最短にそのプロセスをたどることを意識するので、もともと依存傾向の強い人が多いクライアントにとっては(物足りなさ)を感じる人が多いのも事実で、当たり前のことです。でも、それが本来の健全な関係性であり、力のあるカウンセラーはクライアントとの境界線をしっかり保ちながら信頼関係を築きつつ、クライアントがカウンセラーを見るのではなく自分自身を見つめていくよう導きます。

ところが、私が指摘する「自己啓発」や「心理カウンセリング」は、クライアントをいつまでもカウンセラーに依存させ、通い続けさせ、やがて教祖的な存在なるような構造を築きます。「〇〇(カリスマ講師等)さんに会えてよかった!」「〇〇(カリスマカウンセラー)さんの話を聞けてよかった!」と、自分を主語にせず、カウンセラーを主語にして考え、それが「良かった!」と思うようになる場合、それは危険な類の「自己啓発」「心理カウンセリング」です。ほとんどは、スピリチュアルを絡めていて、クライアントの心をしっかりガッツリ掴んで放しません。

・・・なぜなら、イイカモだからです。

ですから、私が指摘する「自己啓発」や「心理カウンセリング」は、本来のそれらとは異なり、人間の心をうまく利用した(悪徳商売)と言っても過言ではないと思います。

 

そんなカリスマ講師やカウンセラーの、承認欲求を満たすためにクライアントは利用されます。イベントを催してはクライアントを涙させ、歌や踊りを披露したり、、、「一体それは何のためのイベントなのだ?」ということは、外部の人間には滑稽に映るのですが、妄信している参加者はそのおかしさに気づきません。

、、、つまり、新興宗教のカタチに非常に似ています。

 

カリスマセミナー講師やカウンセラーは、必ずと言っていいほど教祖化します。クライアントたちは悩みを抱えた弱者です。アダルトチルドレンです。こうした人たちを依存させるのは、実はとても簡単なことなのです。

 

「好きにすればいい」「やりたくないことはしなくていい」の言葉に、何人の人が騙されているでしょう。自分がこれまで歩いてきた道は、今の自分のために在ります。そこを放棄させ、ただ好きなように、やりたい放題に生きることをそそのかして、本来の人生から大きく道を外したり、散財したり、迷惑している周囲がいることを忘れないで欲しいと思います。

「好きにすればいい」「やりたくないことはしなくていい」「他人に迷惑をかけていい」・・・でも、「他人が好きなことをするのは迷惑だ」「他人の自分勝手は許せない」「他人から迷惑を掛けられることは耐えられない」から「NO!と言えばいい」のです。おかしいのです。

究極の自分本位です。しかも、それで夢が叶うと言う。いいえ、それは夢ではありません。長い事抱えてきた自分の中に在る「生きづらさ」からの解放が「自由にふるまうこと」だと思い込まされていて、一時的に気持ちを良くしているだけです。

ですから、周囲との軋轢も発生します。それまで築いてきた人間関係が崩れます。少しずつ親しかった人たちが離れていきます。・・・それを「ステージが上がった」「アセンションして必要のない人たちとの関係が終わった」と思い込まされています。

 

ひとつだけ、スピリチュアル的な論理を使って考えてみましょう。「自分は(この人生を)選んで生まれてきた」とします。ならば、それまでの道はすべて必要事項だったわけです。悩み、苦しみ、生きづらさもあるでしょう。でも、それが「自分自身を知る」チャンスです。自分自身に向き合い、自分の力で自分に必要な人生をつかみ取っていくのです。それが『自立』であり『アイデンティティーの確立』です。

そのプロセスの繰り返しが人生です。きっと、死を目前にした時、少しだけ「自分の人生は何だったのか?」に気づくのかもしれません。

生きている限り、人生の答えなど分かるはずはないのです。金でおいしい人生は買えません。今、目の前に在るものに真摯に向き合い、自分自身を裏切らず、自分自身で決めて行動するだけなのです。

カリスマ講師やカリスマカウンセラーのブログを読めば、セミナーに行けば、セッションを受ければ、講座を受講すれば、幸せになるのではないのです。願いが叶うのではないのです。

幸せになるのも、願いを叶えるのも自分自身の力です。そこに気づかない限り、カモにされて終わるのです。

 

さて、私のアメブロには時々、読者の方からメッセージをいただきました。多くの方はブログ記事を読んで『はたと気づいた』というお礼のメッセージです。

「スピリチュアルビジネスに手を出そうか迷った時、このブログを見つけて目が覚めました」

「スピリチュアルにハマっていましたが、すべてやめて、スピリチュアルがらみの人間関係も断ち、自分で決めて行動するようになったら、すごく楽になり、道が開けてきたように思います」

「スピリチュアルに関心を持ったのは、迷っていたからです。背中を押して欲しかったからです。ヒーラーではなく、自分の声に耳を向けたいと思います」

などのような声です。

ほかには、友人・知人・家族がスピリチュアルにハマりどうにかならないかと悩んでいたらこのブログにたどり着いたという内容や、病気がらみからスピリチュアルにハマり大変な目に遭った方の経験談などもいただきました。

妄信する自分のスピリチュアル論をぶつけてきて「スピリチュアルに逃げて何が悪い?!」と文句を言ってきた人が一人いましたが、それがスピリチュアルにハマった人の特徴なので放っておきました。でも、そのほかはスピリチュアルを妄信する人などからの非難やクレーム等はありませんでした。

 

しょせん、私のブログも無料ブログであり、私見を述べたまでです。こういうコンテンツの上手な利用の仕方は、『読んで、(自分はどう思うのか)について考える』ことだと思います。おかしいなと思う内容があれば学問を勉強すべきですし、あやしい内容があれば調べるべきですし、鵜呑みしてはなりません。

自分の経験や知識には限界があるので、多くの人の経験や知識に触れることは大切です。でも、その上で「自分自身はどう感じるか、どう思うか」を必ず入れることです。

簡単に、「あぁ、そうだ!」と思わなこと。すぐにラクなほうへ逃げないこと。

自分の人生を自分自身を、自分がこれまで歩いてきた道程を、軽く考えないで欲しいのです。すべての経験に(それをする)理由があり、意味があるのですから。

 

スピリチュアルはまだまだ多くの人を魅了し続けるでしょう。世の中が非常に生きづらくなっているからです。でも、少しずつ変わってくるように思います。きっと、「ビジネス」的なものは淘汰されます。スピリチュアルがらみの「自己啓発」や「心理カウンセリング」も同様です。

なぜなら、それで散財はしたけれど、「何も手に入らなかった」という人の声が増えるからです。そんなに世の中は甘くない。笑

そして、次にまた何かブームがくることでしょう。それを予想するのが私の楽しみになっています。いつか、ここで書けるといいです。

人は弱い。弱くていいのです。でも、自分を大事に、他者を大事に、誠意を持って生きていれば、必ず助けてくれる人がいるし、道は開けます。道は、自分が生きてきたように開くのです。

だから、コロリと騙されないで欲しい。・・・それが、私の主張です。

 

以上です。