脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

4-4 質問コーナー:スピリチュアルに対する勘違いについて

【問い】

斬り込み隊のブログを読んでいくと、スピリチュアルビジネスの批判だけではなく、「スピリチュアル」のことを勘違いしているという議論も読み取れます。「スピリチュアルは行動原理である」ということについてもう少し解説していただけたらと思いました。

 

【斬り込み隊長からの答え】

スピリチュアルについての勘違い...これは「スピリチュアル」をどのように捉えているか?ということに尽きます。

スピリチュアルというものが、(目に見える特定の行動や行為である)と捉える人は、スピリチュアルビジネスにハマりやすいでしょう。「宇宙と繋がる」「瞑想し神と繋がる」「チャネリングする」「占う」などというようなものをスピリチュアル的な行動だと思っている人たちです。そうなると、商売が生まれるのは当然のこと。ひとつひとつのアクションを講座やセミナー、セッションなどと銘打ってお金を取ることができます。

 

本来のスピリチュアルはもっと根源的なものを意味していたのではないか?というのが私の主張です。ブログ内でも私はしょっちゅう「スピリチュアルは魂そのものである」と書いています。私自身の中にある魂、そして生命がスピリチュアル。ですから、誰かに何かしてもらうようなものではなく、本人がその魂と生命を尊く扱うことであり、同様に他者の魂と生命も尊重する。分かりやすく言えば「自分を大切に」「他者も大切に」生きることがスピリチュアルであると思うわけです。

 ですから、「スピリチュアルを巧みにからめた、人間のエゴを刺激する商売」は、あくまでも商品なわけです。女性が美しくなりたいという欲求を叶えるために買う化粧品と同類です。「願いを叶えたい」「引き寄せたい」「未来を知りたい」「過去世を知りたい」「高次元の存在に成りたい」・・・どれも同じです。人間の単純な欲求です。

 そこを、根源的なスピリチュアルと混同することを私は「勘違い」と言っています。

 

 過去記事(4-2)の最後のところで、子どもが鬼ごっこを楽しむことについて書きました。夢中に遊んで楽しむ・・・そういう行動が、魂を喜ばせ、生きるエネルギーに変わるのだと思います。

 ですから、そんなに難しい理論は不要なのではないでしょうか?

 夢中で楽しめること、、、があれば、それがスピリチュアル的な活動でなのではないでしょうか?そういう楽しみを持っていない人はスピリチュアルにハマります。

 スピリチュアルの論理を理由にして「高尚なことを行っている」ことを理由にして、スピリチュアルビジネスにハマっていく自分を「無駄なことじゃない」「すばらしいことをしている」と許そうとします。

 本来、あそびは無駄でいいのです。他者から見て「何やってんだ?」と思われるようなことでいいのです。そもそも、あそびとは本人のみの楽しみなのですから。そういうことがなかなか持ちづらいのが日本人の国民性であり、アダルトチルドレンの特徴です。

 結果として、スピリチュアルビジネスにハマることをあそびにしているのであればいいのですが、なぜかこの場合、「仲間」を作りたがります。誰かに影響させたいと思い始め、自らがスピリチュアル商売を始めていくようになる人が多い。

 結局「誰でもできること」だからなのですが、そういう行動、行為を自分の楽しみだけにとどめず、なぜか商売にして他人を巻き込もうとする。・・・ということで、ここからは読者の方ならお分かりだと思います。新興宗教の布教やネットワークビジネスの勧誘の構造と同じなのです。

 「自分がこれで救われた」から困っている人、悩める人、苦しんでいる人を救いたい。という心境です。

 

 その心境の根っこは承認欲求です。自分を他者から認めてもらいたいという欲求です。自分が高次元の存在や超能力者にでもなって多くの人を救ってあげよう、なんて大それたことを考え始めます。「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」なのですが。比較や差を作り、上から目線で指導し始めます。そこに弱ったカモが群がるのです。

 スピリチュアルビジネスにハマるのは、人間の

 ・承認欲求

 ・マウンティング

 ・自己顕示欲

 ・自己愛

等ををよく表出させているものであると考えます。だからこそ「行動原理」だと私は言っているのです。

こうした欲望を、ごくごく平凡だった人間が叶えるのに最短コースなのがもしかしてスピリチュアルだと思っている人が多いので、スピリチュアルビジネスがここまで流行ったのかもしれません。

 

「私の波動は高いけれど、あの人の波動は低い」というような比較は本当にくだらない。「来たるアセンションに置いていかれないように」などというのもおかしな話です。そういった比較を、金で手に入れようとするとは全くナンセンスな話です。

 

 が、人間は欲望の生き物ですから飛びつきます。結局は「欲」なのです。

 その欲によって身を亡ぼすことがあり、この欲によって平和や秩序が乱されます。だからこそ、仏陀などのような聖人たちは、欲を断ち切ろうと修行に励み、解脱の境地を悟りました。・・でも、「欲を断ち切ろう」という考え方も欲なのです。・・・この世に生きている限り、完全に欲を断ち切るなどという生き方はできません。だからこそ、自分の力で自分の中に在る欲望と向き合い、コントロールしようともがくのです。

 

 多くの人がスピリチュアルビジネスで散財し求めていた願いは、ただ日常を、与えられた人生を真摯に生きることで手に入れられると思います。その過程で起きる心の問題は自分で自分に向き合って、自分で自分を助けるしか他ありません。なぜなら、スピリチュアルは魂そのもの、生きることそのものだからです。誰かにしてもらう行為ではなく、まず自分が自分のことを大切にして、自分の心の声に耳を傾けることから始まるのです。

 自分を大事にできた時、初めて周囲も大切にできる余裕が生まれます。その自分を大切にすることに「金」や「周囲からの称賛」が必要ですか?もっともっと掘り下げてください。自分の欲を生みだし、苦しめる原点は何なのか?

 そこに向き合い、自分で自分の心を助け、豊かにすれば、おのずと運も開けるのではないですか?その過程は、日々の生き様であり、特別な儀式や講座などは不要です。

 

 多くの人は表面的な意識に振り回されて生きています。だから苦しい。表面的であればあるほど、他者と比較したり、周囲からの情報に振り回されます。

 「自分を持つ」こと。は「自分の魂」を大切にすること。

 だから、私は過去に書いたアメブロで、アイデンティティーの確立がとても大切だと言っているのです。

 

以上です。