脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

3-2 承認欲求とスピリチュアルの深い関係

インターネットを使って誰もが簡単に自由に情報を流せるようになったブログサービスが登場して、世の中は大きく変わりました。並行してEC(電子商取引)の利用率もブログサービスの普及と平行して、右肩上がりで成長しています。インターネットサービスの拡大でだれもが簡単に商売を始めることが出来るようになったわけです。

 

このブログも無料ブログサービスを利用して発信しています。同じように、無料ブログサービスの(検索欄)にでも『スピリチュアル』と入力して検索してみてください。数えきれないほどのスピリチュアルコンテンツがあり、ほとんどが自分の商売への誘導に利用しています。

ブログもSNSも普及と同時にマーケティングに利用されてきたので、当たり前と言えば当たり前です。アフィリエイトなどはその最たるものです。

自分の商売のためにブログを書き、SNSで発信するのは『宣伝』のひとつのカタチです。

このような世の中ですから、誰でも「自称~」を売り込むことができます。インターネットは「自称プロ」のオンパレード。・・・つまり、「拾うに値しないコンテンツ」に溢れていて、そこから適正な情報にたどり着くには、検索する側の知識や手腕が大きく関係してしまうのです。検索上位に上がるものほど正しい情報ではないのですから…。

このような世界からホンモノを見つけるのは至難の業です。

スピリチュアルや自己啓発セミナーに傾倒し、本来の目的から大きくそれ、人生をスピリチュアルや自己啓発に捧げてしまう人が増えています。もともとは、自分のプライベートな問題を解決するためにすがったスピリチュアルや自己啓発が、解決すべき問題などすっかり忘れて世界へどっぷりと浸かり、やがて自らもスピリチュアルや自己啓発セミナーやセッションで稼ごうとする人が続出してしまう問題は、深刻な人材不足を抱える日本にとって笑い事ではありません。

『好きなことで生きていこう』に騙されたのです。

 

 

アメブロ脱スピリチュアル・脱自己啓発』で私は、「スピリチュアルやスピリチュアル系自己啓発セミナーにハマる人は自己肯定感が低い」と断言しています。自己肯定感がしっかり築かれていない人は、常にどこかにフラストレーションや生きづらさを感じ、他人の言葉に非常に影響されやすく、一方で、バランス悪く膨らんだ自己愛を抱えています。

これを端的に示しているものが『承認欲求』です。

承認欲求とは(他人から認められたい、他人から賞賛されたい)という感情です。この欲求を満たすためには、必ず(他者)の存在が必要です。一方、自己肯定感は他者を必要としません。自分で自分を認めることです。(自分=アイデンティティー)の存在が必要になります。

つまり、強い承認欲求とは欠如した自己肯定感の埋め合わせに利用されます。潜在的に自分のことを認めることができない部分を、他人から認めてもらうことで自分の中に在る(劣等感)や(不足感)を補おうとします。

ですから、スピリチュアルや自己啓発セミナーのカリスマ講師たちが、歌や踊りのパフォーマンスを始める理由が分るでしょう。あの姿こそが承認欲求そのものです。

なぜ、人を救うためのカウンセリングを行っていた人が、まるで教祖のようにふるまうようになるのかが承認欲求という言葉ですべて理解できます。


人は多少なりとも承認欲求は持っています。勉強や仕事、自分にとって負荷のかかることをやり遂げようというモチベーションの元にこの承認欲求は当たり前のように存在するものです。仕事であれば「結果を出して」周囲に認められたいと思うのは当たり前のことです。問題なのは、その承認欲求の矛先がすべて他者に向いてしまっている場合です。仕事で結果を出すことで(自分が自分を認めることができる)要素が含まれます。他者からも認められたいけれど、まずは自分で自分のことを認めたいために頑張ろう・・・は自然のことです。バランスが大事なのです。

 

スピリチュアルや自己啓発セミナーにハマるにはかならずきっかけがあります。簡単なチェックリストを下記に挙げるので確認してください。

[スピリチュアル・自己啓発セミナーに出合うきっかけ]

□大きな試練(または挫折)があった
□自分探しをしていた
□劣等感や自己嫌悪感を抱いていた
□思い通りにならない状況に苦しんでいた
□自分に自信がなかった
□周囲からの評価・評判が気になって仕方なかった

 

スピリチュアルや自己啓発セミナーに関心を寄せるきっかけは、上記のように必ず「思い通りにいかない人生」「不平・不満や悩み多い生活」があります。

そして、スピリチュアルや自己啓発セミナーにお金と時間とエネルギーをつぎ込んで、自分の問題を改善しようと試みますが、自分自身の内面を深く掘り下げることをせず、ただ(自分にとって不都合なものを許し)(ありのままの自分を受け入れ)させられます。

アドラー心理学でいう「課題の分離」は、自分の持っている課題と他者の持っている課題を明確に分離し、他人の課題にはけっして踏み込まないとしています。これは、自分を尊重すると同時に他者も尊重するという意味にも通じます。

心理学を学問としてきちんと学んだカウンセラーは「課題の分離」を前提にクライアントと接します。クライアントの中に在る問題をクライアント自身で向き合うように促します。けっしてカウンセラーの主観を挟もうとしません。ここが、正しいカウンセラーと、危険なカウンセラーの線引きとなる部分なのです。ただし、クライアントにとっては正しいカウンセリングを受けるには根気と勇気が要ります。

一方で、自称カウンセラーのようなスピリチュアル商売をしている人は、他者の課題に介入します。介入するどころか、自分の持つ論理に依存させます。

これが本当の意味のスピリチュアリズムでしょうか?

 

承認欲求が強いと世の中に対して、他人に対して、批判的で不満を持ちやすい人が多い。なぜならどこかで、「自分のほうが~」と思いがちだからです。承認欲求を支える物が自己愛だからです。しかし世の中では、自分をなかなか認めてもらう機会がなく不満だらけの日々を送っていたところに、スピリチュアルが待っていた。こうなると、スピリチュアルへ一直線になる気持ちも分からなくもありません。が、より賢く生きていこうという意識を持つことが出来れば、この状態がおかしいことにすぐに気づくはずです。

この承認欲求の根底には、「自己肯定感の欠如」があります。自分のことを心から認められていません。しかも大半は、自分でそのことを自覚できていません。
「どうせ、自分なんて・・・」「自分はなんてダメなんだろう」とどこか心の奥の奥で感じながら、その存在に気づくのは辛すぎるので、「自分は誰よりも(他者比較を必ず入れる)素晴らしい」という自己愛を膨らませます。

そして、この自己肯定感の欠如は、生まれ育った過程が大きく影響していることを忘れてはなりません。世の中、生まれた環境は自分で決められるものではないことから、どうしてもこの部分は語られません。が、私はあえてこの問題を指摘します。

[自己肯定感の欠如をもたらす環境]

・あまり平和ではなかった家庭(機能不全家族
・一見平和に思えるがどこか苦しい家族関係(共依存など)
・良くも悪くも自由を奪い縛りつけられた家族関係(過保護過干渉)
・無意味に褒めちぎられた偽承認(優しい虐待)
・マイナス言語で叱咤激励された教育(言葉による虐待)
・明確な虐待(身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待)
などなど

もともとバランスの良い家庭環境などというものは、皆無に等しいといっても良いかもしれません。家族と言えど不完全な人間の集合体です。どこか足りないのは当たり前です。

様々な家庭がある中で、子どもは育っていくのです。その環境に大きく影響されて、自己肯定感は育ったリ、失っていくのです。そこに、自分が育ってきた環境が関係することは、自己肯定感というものが生まれて成長する過程の中で育まれていくものですから当たり前です。

 

さて、本題を元に戻します。このように、自己肯定感が欠如した人がなにをやっても、本人の心が満たされないのは、本質(自己肯定感を満たすプロセスを行う)ことに対峙しなければ、けっして解決されません。なぜなら、そこにアプローチしない限りは、自分自身を満たせないからです。

このような人たちは、日本には多すぎます。いや、日本人の特性と言っても過言ではありません。(この部分は、第1章を再読ください)。

 

自己肯定感を満たさぬまま、潜在的に「生きづらさ」を感じている人たちが、スピリチュアルで優しい言葉シャワーを浴びたら、どうなるでしょうか?

あなたは、そのままでいい
あなたを、愛しています
あなたは、愛されています
あなたを、ゆるします
好きなように、生きていい

皆ここがユートピアだと信じて、駆け込むでしょう。

 

ところがこれは深刻な病巣がある病気に包帯を巻いて見えなくしていくようなものです。包帯を巻いて患部が見えなくなって救われたと勘違いするのです。病巣はもっと、もっと奥にあるのに…。

スピリチュアルや自己啓発セミナーは、優しいフカフカの包帯のようなものだから癒された、治ったように思えてしまうのです。でも、本質を修正することはできません。

本質は、自分で自分の中にある患部をじっくり観察しなければいけません。患部を見て、患部と向き合って、自分の中にあるはずの自己免疫力を使って退治しなくてはいけません。

そこを忘れてはならないのです。

他人からの言葉や癒しはとても気持ちいいものです。自己肯定感が欠如し、承認欲求を自己愛によって膨らませて、周囲に(認めて!)(褒めて!)(優しくして!)と手を伸ばしてきたのですから…。

でもそれでは、奥にある患部がうずいて、結局、新しい包帯を求めてさまようしかありません。スピリチュアルや自己啓発セミナーに傾倒した人が、仲間と集って常に、スピリチュアルや自己啓発セミナーに関わり続けないといられないのはそのためです。

 

自己肯定感を自分の力で満たし、自分が本当に癒されれば、スピリチュアルも自己啓発も「あれは何なのか?」と思うことでしょう。(自分で生きる)とはどういうことか、自分のアイデンティティーは何かが解ると一気にすべて、心身ともに改善します。

 

 

スピリチュアルに出合って、自己啓発セミナーに出合って、関わり続けていなければならないのであれば、そういうことを(依存)や(洗脳)などと世の中では言われます。

自分を知るプロセスは引き算です。余計なものを取り払って、自分の核を見つめます。スピリチュアルをまとったり、自己啓発セミナーで学ぶ必要などありません。それは、あなたの核をどんどん見えなくするだけの、ただの目隠しなのです。

・・・そして、本当に癒すべき患部は、、、、、承認欲求であり、原発巣は自己肯定感の欠如なのです。