脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

コラム1:スピリチュアルは商売になるのか?

「スピリチュアルは商売になる」ということを大衆に広めたのは、スピリチュアルカウンセラーを名乗る人たちが、(カウンセリング)や(ヒーリング)や(セッション)などと称してお金を取るようになってから加速しました。

それまでは、せいぜいいわゆる(占い)や神社やお寺で行われている(祈祷)等が大半でした。そこへ、(スピリチュアル)というキーワードが入って来てから、ありとあらゆるスピリチュアルがらみの商売が出回ることになります。

もともと、スピリチュアルの第一人者の方も(占い)的なことから商売を始めたようですから、上手に日本人の心の弱さに入り込んだと言えましょう。

 

さて、残念ながら、『商売』にしてしまったた時点でどんなに高尚(俗っぽくなく程度の高[そう])なことを言っても全ては金儲けの目的となり、商売を行う者たちは(人のため)といいながら(金のため)へと意識が変わります。

そうなった時点で、スピリチュアルは本質から逸れていると思うのですが、多くの人たちは自分のエゴ(夢を叶えたい。願いを引き寄せたい。悩み苦しみから解放されたい。等)で冷静に現実に向き合えなくなっているので、[スピリチュアルの本質]が見抜けません。

逆に言えば、[スピリチュアルの本質]が見えない人が、スピリチュアル商売にハマっていくと言えます。

 

さて、スピリチュアルが多くの人を惹きつける理由について考えてみましょう。

スピリチュアル系といえば多岐にわたりますが、例えば、

前世のカルマや今世の課題

生まれてきた意味や生きる意味

高次元、宇宙や天使、龍神の存在

Body Mind Sprit などから由来した身体アプローチ系

魔術や古くからの秘伝だという呪術系

マヤ歴、数秘、などの占術系

「引き寄せ」や「思うまま」をキーワードにした自己啓発

などなど、

「個人的な趣味の範囲で楽しんでいれば十分だろう」というようなコンテンツが、商売道具になっていきました。

 

ひとつひとつを批判するつもりはありませんが、ひとつひとつに共通していることがあります。

何だか分かりますか?

 

それは、

『人の弱点を突いている』

ということです。

 

 「スピリチュアルで救われた」と声高に言う方々、、、その大半が、スピリチュアル無くして生きられない思考と化しています。儀式的なことだったり、衣食住的なことだったり、自分の一大事での決断時だったり、、、それらが全て(スピリチュアル)に由来します。

まるで、スピリチュアルを利用して生きるのではなく、スピリチュアルにあやつられて生きている…そういうことに違和感を全く感じずに…。

 

私はこの点に、強く疑問を持っていました。

 

今、アナタはここに生きて、今を生きています。

生まれてきたから生きているのです。

いろいろな(生まれ)。十人十色です。不本意な出自もあるでしょう。苦しかった幼少期もあるでしょう。親や環境を恨んだ人もいるでしょう。憤りや悲しみの多い経験をたくさんしたかもしれません…。

それでも、生まれてきたからには目の前のことに対してひとつひとつ真摯に、あきらめずに、でも強がらずに、周りの人たちに助けられながら生きていくしかありません。

 

こうしたことに理由づけをするという行為は、ただ(自分が納得できるようにカスタマイズする)だけにすぎません。それは、ご自身の生きてきた過程や経験から考え出すだけでいい話なのです。なぜなら、この部分に、アイデンティティーの確立が含まれるからです。

ところが、こうした肝心な部分を他人の口に語らせることが(スピリチュアル的に)商売になっている世の中です。

 

他人から、自分の生まれ育った境遇や経験に意味づけや理由づけをしてもらえたら、ラクになりますか?

素直に受け入れられますか?

それらは、単なる事実だけでは納得ができず、理由や理由となる物語が無ければ受け入れられないことですか?

 

そうした大事な大事なことを、他人に語らせて良いものだと思いますか?

そもそも、簡単に(高次元の存在)や(天使)や(宇宙)にアクセスできる人が本当にこの世に、こうもたくさん、あちこちにいると思いますか?

そんな特別な力を持つ人と特別な力を持たない人がいるという、その差は何だと思いますか?

彼らは、自分で解釈した論理に身を沈めているだけで、単なる主観を(高次元から)とすり替えているに過ぎないとは思わないのですか?

 

もっと、もっと、考えを深めてください。

(刹那的な救い)や(一時の慰め)に逃げずに、自身の内面に向き合うほうが、自分の本質(アイデンティティー)に手が届くのではないでしょうか?

それは、まるで対処療法を重んじる西洋医学に対する東洋医学のようなものです。皮肉にも、スピリチュアル信者の大半は西洋医学に対して好意的ではありません。しかしながら、彼らの言うところの魂に対してスピリチュアル商売にハマるということは、単なる対処療法(自分の本質を探らないまま、宇宙や高次元の存在という手の届かない高尚な存在の指示によって自分のまるごと受け入れる強引な論理に、本質が抱えている痛みや苦しみを麻痺させる)ことをしている(一時的な慰め)をしているようにしか見えません。

 

今の連続が過去を作ります。
今の連続性そのものが未来に直結しています。
大事なのは「今」。
過去に何があったとしても、
未来に何があろうとも、
いつだって「今」からつながり創り出しているものなのですから。
「今」にだけフォーカスすればいいのです。

それを、過去世や来世などを引っ張り出して、
「〇〇のために生まれてきた」「〇〇を学ぶためにある」などということを他人の口に語らせて、
思い通りにならないことに「学びがある」「意味がある」だけで自分を納得させる…。

そんな意味づけや理由づけも、スピリチュアルを扱う商売にとっては絶好の機会です。

 

もちろん「学び」や「意味」もあるでしょう。でも、それだけで本当に納得できますか?不条理で苦しかった経験を、自分の糧にするには、自分自身をもっと深く理解して、自分のアイデンティティ―(つまり自分自身)に自分の苦しみを語らせたほうが、きっと「腑に落ちる」と思うのは、私だけでしょうか?

 

無料ブログを見れば、スピリチュアル商売で溢れています。
『過去世を見ます。来世までわかります。
あなたが生まれてきた意味を知りたくありませんか?
あなたのこの人生での課題を、あなたの運勢を、あなたの本質を知りたいと思いませんか?

そのような意味づけ&理由づけ欲求に、たくさんのスピリチュアル商品を取り揃えてお待ち申し上げております』

と言っています。

たくさんのお客様のお越しを待つのは、、、商売だから。です。

 

『夢想家』

この言葉の意味を知っていますか?

 

夢のようなとりとめのないことを思い描く。

スピリチュアルで頭がいっぱいの人は、まさに夢想家。
「今」に生きず、「夢」の中に生きています。

確かに、心地良い「夢」は優しく気持ちいい。でも、それは夢です。あなたの欲望がつくる理想の世界です。

現実と自分自身にに向き合うことだけで十分エネルギーが要るので、夢心地の中に居続ける時間などありません。

 

夢の中に逃避してるだけなのに、そこが「最高!」だと勘違いしてはなりません。

勘違いしてしまった人は、この世で精いっぱい生きてる人に対して、

「下層の俗世間で、なんでそんなに悩むのですか??」

「好きなことをすればいいのです。自分のやりたいようにやればいいのです」

と、無責任な発言を繰り返します。

 

自己都合の夢を思い描き、行動が伴っていない夢想家たちは、

この世の中を懸命に精一杯生きている人たちに、

「なんでそんなに頑張るの?なんでそんなに我慢するの?」と軽率な誘い文句を発して

「もっと好きにしなさい」「自由でいなさい」「解放されるのです!」と、

無責任な(やりたくないことからの解放運動)を扇動します。

 

悩みを抱えた多くの弱者に対して、

「アナタがここへ来たのは意味があります」

「これは素晴らしいご縁です。ここへ来るのは必然だったのです」

「それまでの悩みや苦しみは、このためにあったのです」

学ぶために・・・

課題(カルマ)をクリアするために・・・

本人の『自分の力で生きていこう』という人生を横取りしようとします。

 

他人から言われる(意味づけ&理由づけ)は、自分の行動に責任を持たず、行動による結果を自分で引き受けず、別の何かに責任を負わせることで、「自分は悪くない」と思う責任転嫁に終始させて他責の思考で自分を慰めます。

 または、自分の思い通りにならない欲求不満を(意味づけ&理由づけ)することで「それなら仕方ない・・・」と、強引に納得させようとする荒行です。

 

自分が生まれてきた意味や理由は、自分が生きていく中で考えていくしかありません。それをスピリチュアルに絡めると、特に「カモにされやすい」のです。

 

スピリチュアル商品は依存への手招きです。スピリチュアルを商売にする彼らが高額で提供する商品は、彼らをどんどんこの世のルールから乖離させて、クライアントに自慰行為を教え込み、現実逃避へと走らせます。

 

夢想家養成塾に多くの時間と金を費やしたクライアントたちは、その場ではその気になり解放感に浸ったつもりになるでしょうが、この世(現実)では[同じ考えを持つ人と集わないと]ますます不安に陥ります。

それが、スピリチュアル好きは集いたがる理由です。

そして、自らスピリチュアル商売を始めると言い出します。

 

自立できず誰かに生活を保障してもらい、小遣い程度にスピリチュアル商品で稼ごうとします。ブログ、SNS、動画サイトを使って、集客活動に励むが、なかなかうまくいきません。やがて行きつくのはホームページやメルマガ講座、集客・自己啓発セミナー。ビジネスセンスを磨かねば、、、と思うのでしょう。ところが現実はそう甘くなく、客集めに精一杯になり焦り、ますますスピリチュアルに傾倒します。

 

 

「このままでいいのか?」という不安が、ちょっとでも頭の中をかすめると、類友という名の仲間たちのところへ、スピリチュアル商品を求めに行きます。

ヒーラーなのに、ヒーリングを受け、

セラピストなのに、セラピーを受け、

カウンセラーなのに、カウンセリングを受け、

互いの商売のお客になり合うスピリチュアル屋さんごっこです。行った先には、同じ思考を持つ仲間がいるので安心する…その繰り返しです。

 

スピ仲間たちが恋しくてたまらない。スピ仲間がいないと不安。

「スピリチュアル最高!」と思う仲間で集っていないと安定できません。

そんな、世間のドロップアウターになり方はどうぞ、スピリチュアル屋さんごっこを存分に楽しめば良いのです。

ただし、そこにはこの社会の生産性に組み込まれません。あくまでも趣味娯楽の域を出ることはないのです。