脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

5-3 自分の肉体を信用すること、自分自身を信用すること

 今回は私の持論を先に提示します。

私は、病気は潜在意識の表出であると考えます。「病は気から」ということわざがあるとおり、病気の大半は本人の抱えてきた潜在意識が肉体という物体に影響したものだと考えます。

つまり、

潜在意識から肉体へのメッセージが体調であり病気として現れる

と考えています。

 

 

二言目に「自分は身体が弱くて…」というようなことをいう人がいます。子供のころから病気がちで、いまも持病をいくつか抱えて…。そんなことを言う人。本人が「自分は身体が弱い」と思い込んでいますから、病気との二人三脚の人生を歩くしかないでしょう。

「あぁ、もっと身体が丈夫だったら…」とわが身を嘆いているように見えますが、心身ともに壮健で健康に悩むことなどない人生…よりも、常に病気がちであることで[得られるもの]があると潜在的に信じきっています。

 

その[得られるもの]は何なのか、ご本人にしかわかりません。

例えば、幼少時、親があまり自分のことを気にかけてくれずに寂しい思いをした人が、病気をした時だけすごく優しくされた経験があって、(病気は愛情を得るための必須アイテム)だと潜在意識に刻んでいる人がいます。

例えば、自分がピンチの時病気になったおかげで周囲から「病気になっちゃったんなら仕方がない…」と許容してもらい、(病気は、自分のミスやピンチから救ってくれる必須アイテム)だと潜在意識に刻んでいる人がいます。

 

ほかにも、自分の本心、潜在意識を無理に押し殺そう、諫めようとした場合に、そのストレスが肉体を傷つけることがあります。

分かりやすく言えば自分の感情にウソをつく…ということです。

 

本当は誰か(何か)に対して、強い怒りの感情を持っているのに「そんなふうに怒っていない」と自分自身に言い聞かせ、寛容で道徳的で愛情深い自分であろうとし続ける人です。こういう人の心の奥に押し込められた感情は知らず知らずに肉体を蝕んでいます。心の奥…であれば肉体には無関係なように思うでしょうが、(心の奥)とは(細胞の奥の奥)というふうに考えれば、どんなことになるか…お判りでしょう。

すべて、、ではないですが、ガン発生の大きな理由に感情の抑圧があると考えます。

 

それらは、スピリチュアル的なことで語るものではなく、人間には肉体に宿るエネルギー、つまり感情があるのですから、肉体を流れる感情というエネルギーのバランスを崩したりすれば、肉体に支障が起きるというのは当然の仕組みでしょう。

 

・・・そういう単純なことを、わざわざスピリチュアルにからめて難しく語る必要はない、ということです。

スピリチュアルにからめれば、スピリチュアル商売のカモにされる機会を増やすだけです。

 

 

 自分の価値観で厳しく近しい人間(とくに家族)を節制し、感情的に弱者(妻や子供たち)に暴言や暴力をふるう父親の下で育った人は、自分の存在価値を見いだせず、常に自虐的で、何かに依存しなければ立っていられません。ですから、そうした人が大人になって、パートナーや子供、仕事やアルコール、ギャンブル、などなど、依存症に苦しむことになるのです。

 こういうケースから分かるように、自分のルーツ、育ってきた過程を振り返り見直さない限り、根本的な改善は望めません。依存の先が変わるだけです。その鞍替えした依存の先にスピリチュアルは有効かもしれません。

 それは「スピリチュアルで救われた!」という人が多いからです。多少、お金はかかりますが、やっていることは悪いことではないですし、誰かを故意に傷つけることもありません。ですから、スピリチュアル依存はある意味、健全だといっていいかもしれません。

 が、根本的なものは変わらないため、ラクになったと感じることはあっても本質的な苦しみから逃れることはできません。

 

 よくよく考えてください。自分がこの肉体を持って生まれてきた、ということは、この肉体を持って自分の人生を歩む、、、その過程の中に、自分を変えるチャンスと気づきがあるということです。

 ですから、だれかから何かの儀式を授けてもらって変わることができる…ということはあり得ません。自分が「生きる」という過程の中で得た経験の中に、自分を知り、自分で自分を変えるきっかけがあるということです。

 

 ですから、自分のこれまでの人生にしっかり向き合うという作業が大切だと、私は常に言っているのです。勇気が要ります。途中で苦しくなることもあるでしょう。

 でも、自分を救うことができるのは自分だけ。

 

神は自ら助くる者を助く

 

とは良く言ったものです。