脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

5-2 自分の中に在る承認欲求に対峙する

 自分で意識できるもの(顕在意識)よりも、自分では全く自覚できないのにも関わらず心の奥深くにとどまっている無意識(潜在意識)のほうが、その人の人生を大きく干渉します。

 ですから、こんなにも多くの人が悩み、苦しみ、生きづらさを感じ、引き寄せの法則に飛びついたり、願いをかなえる方法にすがろうとして、スピリチュアルや自己啓発セミナーにはまるのです。お金を払ってノウハウを習得すれば誰もが思い通りの人生になるのであれば、もうそろそろ、これらのビジネスは終焉を迎えてもよいのではないですか?みんな願いをかなえて思い通りの人生を送っているはずなのですから。

 なぜ、そうならないか?

 それは、自分に都合の良い心地良い慰めばかりに執心して自分の中に在る無意識に対峙しないからです。

 

 特に、承認欲求というものは人の苦しみや生きづらさを増大させる厄介なものです。コレステロールでいえば悪玉です。ほどほどであれば健全に機能しますが、増えすぎると心身ともに不健康な状態になります。

そして、この承認欲求のルーツは、やはり前項でお伝えした親子関係にたどり着きます。

 

 この世に生まれ出て最初に出会うのは母親です。我々は母の胎内から生まれ出るのですから当然です。そして父親がいなければ自分はこの世に生を受けなかった。つまり、両親との関係が子供の承認欲求に大きく影響します。

あなたにとって両親との関係はどうですか?できるだけ幼少期に遡って思い出してください。つらい苦しい経験であればあるほど、幼少期の記憶は無意識の格納庫にしまわれてしまいますから思い出せない人も多いでしょう。でも、まずは自覚できることからこの作業をスタートします。

 

 親が邪心なく我が子を心から承認する(認める)ことができる場合、子供の承認欲求はバランスよく健全に育まれていきます。

 では、健全な承認欲求とはどのような状態をいうのか?というと、ここは自分自身に問うてもなかなか難しい。でも、他者を承認できるかどうか、という部分に自己の承認欲求は現れます。

 実は、他者が自分を映す鏡、他者と関わっているときの心の動きの中に無意識が顔を出します。

 他者との何気ない会話の中に、いらつきや嫉妬、妬み、批判の気持ちが現れたら、それが自分の中に在る承認欲求からのサインです。今はSNSがありますから判断材料がたくさんあります。知人や友人の素敵な日常の一コマを目にして、心から「あぁ、(いいね!)」「とても楽しそう!」と思えますか?その時、少しでもネガティブなほうへ心がざわついたら、そのざわつきの源が承認欲求です。

 なぜかイライラする。なぜかムカつく。なぜかザワつく。

 私(俺)のほうがスゴイのに。私(俺)のほうが知っているのに。私(俺)のほうが…。私(俺)のほうが…。

 他者との関わりの中でそんな心の動きを感じたら、かならずその時のシチュエーションをしっかり思い出して、何(誰のどんな発言・態度など)に心が動いたのかを記録することで、自分の中に在る無意識を見つけ出すチャンスになります。

 例えば、以下のように記録します。

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【例】

〇月×日 昼休み △子が日曜日に彼氏とでかけたディズニーでの写真を見せてきたとき、なぜか胸の奥がムカムカした。

★気づいた感情

→(怒)彼氏のいない私に自分のリア充を見せつけて、どういう神経しているんだ?!

→(悲)私は男の人と二人でディズニーに行ったことがない。

→(嫉妬)△子の彼氏がイケメン。

 

【例】

〇月×日 休憩時間 □さんが自分の息子が××大学に合格したという話を聞いて、なぜかイラっとした。

★気づいた感情

→(嫉妬)私の娘はそんな実力がない。

→(怒)娘は浪人中でまだ大学が決まっていないのに、我が子自慢を平気でできる神経にイライラ。

 

【例】

〇月×日 電車内 つり革広告の『私は自分の意思でハイヒールを履く』というキャッチコピーに女性軽視だとイラついた。

★気づいた感情

→(悲)子供のころ父親からなにかにつけて「女のくせに」と卑下される言葉を言われて育ったためジェンダー問題に敏感。

→(妬み)「自分の意思」って言いながら、男の注目を浴びたいだけじゃないか!

→(嫉妬)モデルのきれいな足は、自分にはない。

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 自分の感情が動いた時、どんなシチュエーション、どんな言葉が感情のスイッチになったのか、無視せず記録していくと、自分の中に在る自分で気づいてもいない感情に気づくことがあります。

 

 

 強すぎる正義感も承認欲求からのサインであることが多いです。正義感は、時として世の中や人を救う大きな原動力になります。が、同時に(怒り)を誘発するものでもあるのです。そして、正義感とは一人一人の価値観に起因するものなので、すべての人に当てはまるものではない。つまり、自分は自分、人は人、の線引きができず、自分の中に在る憤りや怒りに正義感という名前を付けて、その正当性で対象を攻撃することも大いにありうるのです。残念ながら、まったく同じ考え方の人間はいないので、対象者はその人なりの正義感、つまり価値観、主張を持っているので、正義感で起因した行動の多くは敵を作りやすい。つまり、コミュニケーションに支障をきたしやすいのです。

 世の圧倒的な悪に対しても、正義感をふりかざすだけではなかなか問題が解決できないのはこのせいです。

 これも、他者の価値観を認められない、つまり自己に内在する強い承認欲求の影響が大きいのです。

 

 自分のほうが正しい。自分は(他の人よりも)充実した生活を送りたい。(誰よりも)楽しく生きていきたい。(多くの人に)素敵だと思われたい。…つまり、自分の人生における願いが、他者の承認が得られることによるものを目指す人たちが、スピリチュアルにハマりやすい苦しさや息苦しさ、生きづらさで悩みます。

 

 これは、SNSやブログの影響が大きいと思います。SNSやブログをマーケティングツールとして利用し始めたころから急速に人々の承認欲求がうずきました。

 もともと、自己肯定感が低く、小さなコミュニティでまとまりやすい性質が強い日本人にとって、他者と比較するという物差しで価値を図ることが当たり前の感覚になっている人が多いので、そうした感覚がおかしいと、本人は気づけません。だから、橋田寿賀子脚本のドラマがウケるのです。

 

 健全な承認欲求が育まれている人は、他人の幸福も成功は当人のものであり、自分には関係ないことと明確に線引きして考えることができるので、無駄に感情を浪費しません。事実をそのまま認めることができます。

 さあ、これだけの違いですが、心身へのストレスはどうですか?

 

 承認欲求が強すぎる人が、どれほど生きづらく、ストレスを抱えているかがわかるでしょう。他人の些細な言動に敏感に反応し感情をかき乱され、それをどうにか対処しようと自分の心のざわつきを抑えようとエネルギーを費やすのです。

 さらに言えば、「私(俺)をイラつかせる相手を理解しよう」と中途半端な優しさを使おうとして承認欲求からの叫びを慰めようものなら、自分自身の首が締まるばかりです。なぜなら、そのような中途半端な優しさを意識(顕在化)して、自分に強制すればするほど、無意識(潜在意識)では相手へのネガティブな感情を増大させるからです。

 

 スピリチュアルや自己啓発セミナーで言われる『ありのままの自分』とは、このように『承認欲求が強い自分』なのです。ここを放ったままで、セミナーやセッションなどのイベントで心の自由を手に入れようとしても、それはまるで、ハムスターの回転車の中にいるような状況に陥っているのと同じであることがお分かりいただけるでしょう。

 自己肯定感が低いために、「私(俺)なんか・・・」と自分を出せなかった人生から、なぜか幼児のような万能感を得た気になって、「幸せ」「私らしく」と連呼し始めるのが、スピリチュアルや自己啓発セミナーにハマってしまった人の常套句です。

 それまで抑圧してきた承認欲求を解放した気になれるのが、スピリチュアルや自己啓発セミナーの一つの目的でもあるでしょう。だから、多くの人が堅実な社会人としての営みから逸脱してパフォーマーになろうとしてしまうのです。

 パフォーマーは観衆の存在が必要です。つまり、承認欲求を満たしてくれるカモが必要なのです。

 

 なぜ、スピリチュアルにハマった人、自己啓発セミナーのカリスマ講師を妄信する人が、同じような道をたどるのか、、、お分かりいただけると思います。

 彼らは、承認欲求をさらけ出しています。子供が、ちょっとした自慢を周囲の大人に「見て!見て~!」と言うのであれば可愛げもありますが、大の大人がこれをすることの目的を考えてみませんか?

 こうしたパフォーマーに憧れて「私(俺)もそうなりたい!」と願う人は、このブログは不要です。頑張って励んでください。