脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

1-2 社会不安が「癒し」の思想へと誘導する

 スピリチュアルは、海外から輸入されたキリスト教の影響を受けた言葉なので、一旦、スピリチュアルから離れて、日本人にとって切り離せない宗教のひとつ、仏教の変遷から、人と精神世界との関わり方を考えてみましょう。
 

 仏教はご存知の通りインド発祥の宗教で、中国を経由して伝来した宗教ですが、日本人の文明・文化的な発展に仏教は深く大きく関わっているので無視できないものです。公伝(公式伝来)は6世紀半ばといわれ、7世紀に厩戸皇子聖徳太子)が定めた十七条憲法は、すでに仏教の影響を大きく受けているので、政治の中枢である朝廷と仏教が切り離せない関係になっていたことになります。
 仏教伝来前の日本はアニミズム(自然崇拝や先祖崇拝)を中心としたシャーマニズムという原始的な信仰が中心でした。この世の如何なるものにも神が宿り、自然への畏敬の念と先祖からの命の継承に基づき、シャーマンが神と人間の仲介者となり、祈祷や占いを用いて神からのメッセージを伝え、人々はそれに従ったのです。ところが、仏教は伝来とともに一気に日本で普及した…。土地のなりたちに根差した立派な宗教観が日本にあったにも関わらず、なぜそれほどまでに仏教に魅力があったのでしょう。
 デイヴィッド キーズ氏の『西暦535年の大噴火‐人類滅亡の危機をどう切り抜けたか』(株式会社文藝春秋)によると、西暦535~536年に人類史上最大級の天災(火山噴火説が最も可能性が高い)が起きたといいます。それを証明するかのように、世界各地の年輪データや各国に残されている記録などにより、6世紀中期は世界各地で異常気象であったといわれています。朝鮮半島では洪水、干ばつや伝染病が流行したという歴史書の記述があり、こうした危機に対応するように、朝鮮半島新羅が仏教を国教化したのが535年です。これが天変地異と大きく関係していると考えても不思議ではありません。
 つまり、精神世界の大きな変化は、人々の心の不安、生存の危機に関係しています。とくに、アニミズムの影響を大きく受けていた信仰であれば、自然災害はすなわち「神の怒り」や「神の衰退」などの示していることとなり、それまでの価値観を大きく揺るがざるを得なかったことでしょう。
 『日本書紀』によると、宣化天皇の536年の詔に「食は天下の本である。黄金が満貫あっても、飢えをいやすことはできない。真珠が一千箱あっても、どうして凍えるのを救えようか」という言葉が残されています。この言葉の背景に飢饉があり、その原因として朝鮮半島で起きたような異常気象があったとしてもおかしくありません。

 朝廷ではそれまでの神道を支持する物部氏と、海外から新しく伝えられた仏教を支持する蘇我氏が対立し、587年の丁未の乱を機に蘇我氏が権勢を握り、仏教が一気に普及していきました。
 日本への仏教公伝は、538年(日本書紀によると552年。元興寺縁起などでは538年)百済聖明王の使者が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典、仏具などを献上したことによるとされています。精神性を重視した神道の簡素な儀式とは異なり、仏教の華やかな仏具や仏像と、誰もが等しく理解できる経典などの存在は、不安を抱えた人たちが大いに惹きつけられたことでしょう。
 とにかく、それまでの日本人の心を支えていた神道系の信仰から仏教への転換、朝廷主導とはいえ一気に仏教が普及した背景には、535年の世界規模の天災とその後の異常気象が大きな要因であると仮説とすると、人々が

「従来のままではダメなのではないか?」という生存に対する不安から逃れるため、理解・納得しやすい教義と、今の時代でいうところの「映え」ているツールを使う仏教に、多くの人が魅了され、平和と繁栄を期待したのかもしれません。