5-5 なぜ自己啓発やスピリチュアルでは望むものが手に入らないのか?
『引き寄せの法則』や『幸せになる』や『お金に好かれる』など…。世の中には数多くの講座やセミナーが日々、あちこちで開かれています。
もし、これらの講座やセミナー、セッションで効果があるなら、もう、このようなコンテンツを売り物にしている商売は無くなっていいはず(みなさんもう願いが叶っているでしょう)。
ところが、いつまでもあっちのセミナー、こっちの講座、自己啓発ショッピングをしている人がいます。もうこれは趣味になっているのだと思います。
こうした人たちに共通するのは、『他人軸で生きている』ということです。
彼らが(ほかのだれよりも)リードしたい(先導したい)何かが、彼ら自身を縛り付けています。
例えば収入。たとえば仕事。たとえば結婚。たとえば自己実現。
「今よりももっと」
と、常に何かを渇望しています。
当然、無意味の欲をかけば同等のストレスを抱えます。そういう人を周りで見かけませんか?
努力家なのに、頑張り屋なのに、なぜかいつもうまくいかない人。
「仕事でうまくいかない」
「恋愛でうまくいかない」
「結婚生活がうまくいかない」
「人間関係がうまくいかない」
「健康問題がある」
「家族問題がある」
などなど。
大きな望みはあるのですが、現実はストレスフルな日常です。
それはなぜか?
答えはひとつです。
実はこうしたストレスフルな問題は、自分は「もういや!」「そんなの要らない!」と思っているようですが、自分で起こしているのです。
今、自分に起きている現実は自分で起こしているのです。
「そんなはずない!」
とおっしゃる方もいるでしょうが、これは本当です。
自分が望んで今、この状況を作っているのです。
このことを本当の意味で理解できた人に、次のステージがやってきます。
では、なぜ、顕在意識では望まないことが起きてしまうのか?
さあ、この答えをお伝えするには、
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・・・と無料ブログで宣伝している、自称自己啓発性ナー講師やスピリチュアル系ヒーラーなどがたくさんいますね。
私は、そういう馬鹿げたビジネスに引っかかる人をできるだけ減らしたいと考えています。お金は大事です。自分自身の喜びのために使うべき、だと思っているので、ここで無料でお伝えしているのです。
では、お話しします。
自分の人生が、自分が思う方にいかない人は、
自己肯定感が低い にすべて起因します。
(「またかぁ…」と思った人が多いと思いますが。ここまで何度も言っているということは、それだけ重要だということです)
顕在意識で自分の自己肯定感の低さを自覚できている人は、苦しいかもしれませんが、意外と解決が早いと思います。困るのは「自分に自信がある!」と思っていながら、潜在意識でその自信と真逆のパワーで劣等感や無価値観を持っている人です。
潜在意識が身体の奥の奥でうずいて、顕在意識を刺激します。
「もっと努力しなくちゃいけない」
「もっとできなくちゃいけない」
そう思って、何事にも一生懸命な努力家が多いのではないですか?うまくいっていない他人を見て「あれがダメ」「こういうのがダメ」だと批評していませんか?
そういう頑張り屋さんの努力の延長線上に、自己啓発やスピリチュアルが出てくると、さらに厄介です。
過去記事に書いた通り、儀式的な行為でその気にさせられて、根拠のない幻の万能感を与えられますが、これは、自己愛をすり替えたものにすぎません。
劣等感のある人、自己肯定感が低い人ほど自己愛が肥大化します。
自分は「スゴイ!」と本気で思えるようになった気がしますが、それは、自己肯定感の欠如を埋め合わせていた自己愛に「遠慮しなくていい」と洗脳されただけです。
ですからこうした人たちは、ふたたび同類の人を探して「助ける」という聞こえのいい言葉を使って、同じメソッドを伝播しようとするのです。もともとクライアントだった人が、講師になったり、マスターになったりしますよね。
自分の人生は、自己啓発セミナー講師をするためですか?スピリチュアルセッションをするためですか?・・・ほかに、たくさんの役割があるはずですが…。
これまでの仕事を辞めてしまったり、家族と離れて、このメソッドにのめりこんでしまうのです。
行きつくところが同じです。自分が救われたと思ったメソッドを、自分と同じように苦しんでいる人に提供したい…。これ、信仰宗教の勧誘と同じスタイルです。
自己肯定感が低いために肥大しながらも奥に押し込めていた自己愛を解放し、「やっと自分の人生を手に入れた!」「望むものを引き寄せた!」と思い、「苦しんでいた過去の自分に似た人」を助けたいと思うのです。
そこは、ゴールのように見えますが、ゴールではありません。
運動不足で筋肉が疲弊したとします。
本来なら、どこの筋肉が弱っているのかを探して鍛えるしかありません。
それを、温泉に浸かって「気持ちよかった!」「効いた!」と思い込み、似たような人に「この温泉がイイよ」と勧めるようなものです。
筋肉を心や魂。に置き換えたらどうでしょう。
もし、弱ったら、どこが弱っているのか自分で自分を観察する。そして「鍛える」ということは、「経験する」ということです。いろいろな経験を積んで、心(魂)の幅を広げていくしかありません。それは仕事だったり、人間関係だったり、家族関係だったり…。いろいろ経験して、自分自身を育てるしかありません。
生まれてきて死ぬまで、いいこともそうでないことも含めてさまざまなことを経験して、その都度、気づき、学び、少しずつ成長するしか方法がありません。
それが、この世に身体をもって生まれてきた意味、そのものではないでしょうか?
過去において、自分が成長したと思ったことを振り返ってみてください。
それは、自分にとって幸せなときでしたか?
残念ながら、人は幸せな時に至福の思いを味わうことはあっても、大きな学びにつながることはありません。
自分が成長したのは、試練だったり、苦労だったり…。当時の自分にとって苦しかった時ではないでしょうか?
その中で、必死に苦しみから抜け出そうともがき、腐らず、自暴自棄にならず、自分を大切にしながら積み重ねたことの中に大きな学びや気づきがあったのではないでしょうか?
・・・これが真実です。
『苦しみの中に在る時、その苦しみに目を向けて、自分の中に在る原因を探ろうとすること』が、学びや気づきにつながります。
ところが、まやかしの自己啓発やスピリチュアルは、
『苦しみの中に在る時、その苦しみから目を背けて、心を宙に飛ばし、解放されたと思い込むこと』
をさまざまな方法でクライアントに施します。
さて、何が違うと思いますか?
それは、
『自分が取り組むしかない』主体的な行動が前者で、『誰か(ヒーラーや講師)に施してもらう』受動的な行動が後者です。
これは、非常に大きな違いです。
もちろん、だれかに気分よく施してもらった方がマッサージのように気持ちがいいにきまっています。効果もあるような気がするでしょう。
でも、根治はできない。
根治とは、自分がそうなった原因を自分で探り、根本的な体質改善を日々の生活で実践しながらやっていくしかないのです。ひとつひとつ、実直に生きていくその過程に、自分を育てる肥やしが蒔かれているのです。
ですから、自分ではどうしようもない苦しみの中にいると自覚した時は、
今の社会でもっとも適切と言われている、保険適用のある医療機関、または行政機関に相談することです。
自分で抱えず、適切な人に相談することです。
まちがってもスピリチュアルのほうへ逃げ込まないでください。
「自分探し」という堂々巡りの螺旋階段にハマるだけです。