脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

5-4 『自分』という軸を持つこと

ある思想に囚われて生きている人は、自分の思考を二の次にしていることに気づくべきでが、思想と自分の思考を同一化してしまっているため、自分を見失っていることになかなか気づくことができません。

 

このことはスピリチュアルブームと日本人の特徴に大きく関係しています。

 

日本人はもともと集団(グループ)に弱い民族です。人との繋がりを非常に大事にするために、集団生活を重んじ、他者の存在を常に頭の中に入れて生きていこうと本能的に感じています。

昨日、あるシンガーソングライターが薬物逮捕されたという残念なニュースがありました。『世界でひとつだけの花』という歌に多くの人が共感したのは、グループの一員としてのキャラクターづくりや、グループ内での立ち位置、グループの結束などをとても気にしながら生きている人が多い、ということの表れです。そもそも、一匹狼的な思考で生きている人が、この歌を聞いても何の特別感もありません。それくらい、日本人は、他者の反応によって自分の存在を確認してしまうのでしょう。

 

もちろん、国としてもまとまりがなくては国力低下にもつながります。ですから、日本の教育制度の特徴である一斉教育や道徳教科などは、いわゆる[国家が求める日本人像]養成を目的としていて、幼少時から国が奨励する思想や倫理観を植え付けています。

それでも、今の時代はこれまでの日本の歴史の中で、最も個人の自由が認められている時代であることは間違いありません。100年も前であれば、思想が犯罪になっていたのですから。

にもかかわらず、「周囲の評判や意見」に振り回されている人が増えています。

それは、インターネットの主な使われ方が見知らぬ他人との繋がりが前提にあるということも大きく影響を受けているでしょう。繋がる必要のない世界にまで繋がって、その中で自分を見出さなくてはならない、、、となると、日本人の弱点をさらに突っつかれているようなものです。

 

自分の価値を周囲との比較でしか見いだせない人は「生きづらい」「息苦しい」と感じるのは当然のことです。自分の思考の軸がなければ、常に他者に影響されて生きるしかないからです。自分の中に在る物差しではなく、他者が目前に置いた物差しに自分の身を当てて、「合っているか?合っていないか?」と考え、できるだけ合わせようと無理をします。

 

多くの人が、こうした苦しみから逃れるために宗教を利用しています。が、日本人は比較的、特定の宗教を熱心に信仰している人が少なかったために、スピリチュアルブームが起きたのだと思われます。

宗教に自分の思想の指針を預けたいと思うような人がスピリチュアルにハマりやすいと言えます。

 

さて、表題にある通り『自分という軸を持つこと』とは、どんなことを言っていると思いますか?

 

他者や周囲の意見や評判に左右されない、自分オリジナルの思考、意見です。

周囲からの評価を気にせずに、自分の意思を通すことができますか?

もしくは、自分の意思というものを、自信をもって表明できますか?

 

これは日本人にとって最も難しいアクションです。

 

『自分の軸』がある…ということは、自分で判断し、自分で選択し、自分で行動する際の思考の基準を持つ、ということです。

 この基準の多くは幼少時から築かれていくものです。ですから、大なり小なり親の影響を受けるのは間違いない。まっさらな状態で誕生し、成長する過程の中で、親の言動に大きく影響されながら、自分は大人になるまで生き抜いていかねばならないからです。

 つまり、自分にとっての最初の教祖は親。なのです。

 

 その親から完全に自立できたとき、宗教で言うところの脱会となります。自分の意思や価値観を使って自分の力で世の中を渡っていく…ということです。

 ですが、この脱会がなかなか難しい。表面上、自立できているように見えていても、心の奥の奥、つまり潜在意識は教祖である親に大きく縛られているからです。

 親に無理に反発して反社会的な行動に出る人もいます。無意識に親の評価を気にしながら、自分のことを後回しに生きる人もいます。

 

 親という教祖から離れ、完全に脱会するのはとても難しいのです。

 

 ですから苦しみます。大人になって苦しむ人が多いのは、表面上、自立を促されているにもかかわらず、けっして親の存在を無視できない状況下に置かれているからです。人生において何かを選択するとき、行動するとき、自分の意思と感情だけに従ってアクションを起こしていれば、こんなに悩み苦しむ人が出てくるはずはありません。

 

 「教祖である親、に従わなくてはならない」・・・では自分の意思を無視することになりますが、「教祖である親の言うことなんて聞きたくない・・・でも自分の意思を無視していることになります。

 

 自分はどうしたいのか?

 という問いが、最も苦手な人によく見られる特徴です。

 

ですから、『自分の軸』を持つということは、自分のルーツの見直しが必要なのです。

生まれた時点から親という教祖の洗脳は始まっていますが、できるだけ自分の生育について過去に遡り、どのような洗脳が行われてきたのかを客観的に確認していく作業が要るということです。

この作業によって、脱会への道が始まります。

 

心の奥では自分を苦しめてきた親からの洗脳について潜在的に怒りを持っている人は意外に多い。そんな人たちが「許す」ことで解放されるというスピリチュアルメソッドの常套句で解放されたと思い込むことも悪くはありませんが、これは『頭で考えることで、潜在意識をより深く封じ込める』行為にすぎません。

しかも、スピリチュアルにおいて瞑想というアイテムを利用して、クライアントを催眠状態にして、こうした思想を植え付けるのです。

こうなれば、スピリチュアルにハマっている人が、どんどんハマっていくしかない、ということがお分かりいただけるでしょう。

洗脳を解くようにみせかけた洗脳…にすぎないのです。

スピリチュアルという優しくて寛容で一見、自由だと思われる思想に洗脳し、幼少時から続いてきた親からの影響(洗脳)を解くことができたと脳を勘違いさせるしかないのです。

 

本当に自分の軸を持てた人は、スピリチュアルメソッドなど不要になります。スピリチュアルメソッドよりも、自分自身自分の意思感情を大事に生きていこうとします。が、いつまでもスピリチュアルに安住の地を求めているということは、いわゆる「一時避難所」に留まっているだけだと言えるでしょう。

 

そうした『自分の軸探し』の迷える人たちを、自称スピリチュアルカウンセラーや、自己啓発セミナー講師や心理カウンセラーたちが、カモにしていきます。彼らも同類ですから依存関係を求めているのです。クライアントを掴んで放さない状態にするのは、依存であることの証明です。

 

自立するかしないかは・・・あなた次第です。(誰かの受け売り。笑)