脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

5-1 自己肯定感を紐解くと親子関係にたどりつく

当ブログをお読みいただくと、自分の人生を歩む過程において自己肯定感というものが非常に重要だということをご理解いただけると思います。そこを大事に見ていかねばスピリチュアルにどんなに心身のエネルギーやお金を費やしても元の木阿弥である・・・これが私の最もお伝えしたいことです。一時的に解放感や高揚感、幸福感に満たされたとしても、結局ネガティブな状態・状況に引き戻される・・・自分自身の内面に深くアプローチしない限り無限ループに陥るのです。

 

時代の変化は加速していて、一時のスピリチュアルブームはだいぶ落ち着き、『スピリチュアル』は心に傷を抱えた人、生きづらさを感じている人にとっての一時的避難所のような、ケガで言えば包帯の役割にすぎないということを多くの人が感じ始めていることを実感します。

スピリチュアルにハマるということは、心の傷や生きづらさに目隠しをするということです。包帯の色や柄がいろいろあって、それぞれ値段が違っていて、包帯を巻いた人はその包帯の色や柄が自分の好みであれば満足度が上がります。・・・その程度のことです。あっちのヒーリング、こっちのセッション、そっちのセラピー、、、いろいろと放浪します。放浪して、その場しのぎの慰めに一時的な癒しを得ているようでも、結局、同じところへ戻ります。・・・包帯は巻いていても、心の傷や生きづらさは完治していないからです。

 

それでも、「楽しいから、救われた気持ちになるから、これからもいろいろな包帯を試したい」という方にとってはこのブログは不要です。どうぞ、包帯選びを楽しんでください。

 

では、どうしたら心の傷や生きづらさを治すことができるのでしょう?

ここに自己肯定感が深くかかわっているのです。

 

詳しくお話をする前に、私からひとつ謝りたいことがあります。当ブログの前身であるアメブロでも、自己肯定感については何度も書かせてもらいました。が、肝心なことを書くのを忘れていました。というより、この肝心なことは、私自身が更新を忘れていた期間に偶然、目にした書籍の中に書かれていたことであり、私はこの肝心なことを当たり前だと思っていたために特筆することを忘れていたのです。

 

それは、『自己肯定感の欠如は結果であり原因ではない』(出典『死に至る病』;岡田尊司著)ということです。つまり、自分の中に自己肯定感を健全に育むことができなかった人に、容易く「自己肯定感を回復することです」ということは、『育ち盛りの時に栄養が足りずに大きくなれなかった人に、背を伸ばしなさいと言っているようなもの』(『死に至る病』p.20から引用)なのです。

そして、岡田氏が比喩する「栄養が足りない」ということは、生育過程における愛着障害であり、その根っこは人が生まれて最初に出会う(親との関係)であると私は解釈しました。

 

人は、特に日本人は、数多くの昔話で伝えられているとおり「親を否定する」ことを(親不孝)という言葉で悪だと捉えます。「親を悪く言うものではない」「親のおかげで・・・」そんな言葉で子供をがんじがらめに罪悪感というロープで拘束します。

でも、親は人間なのです。過ちを犯します。愚かです。そして、子供が成人するまで(親と子)(大人と子供)という絶対的な強弱関係を構築するために、親の大半は自分の価値観や自分本位の欲求や、行き場のないストレスを子供にぶつけます。

具体的に言うと、

・不用意な言葉で傷つける。 ・叱咤するつもりで個人の尊厳を傷つけるようなことを言う。 ・自分本位の期待を子供に向ける。 ・自分の思い通りに子供を当てはめようと強いる。 ・そもそも愛情の掛け方を知らずに親としての責任だけで接する。 ・自分の中に抱える劣等感を子供への期待に変えて子供の個性を無視する。 ・親の依存問題に子供を巻き込む(アルコール依存や薬物依存など)。 ・共依存に巻き込む。 

などです。

大なり小なり、親というものはそのような過ちを犯してしまう生き物なのです。それは、動物と異なるように子離れの時期が明確でないこと、そして、親自身もかつて子供のころ同じような経験をしてきたからです。そして、特にこの時代を切り取ると、第1章で語ったように戦争と敗戦が大きく影響しているからです。

 誰も自己肯定感なんて健全に育める人なんていかなかった。・・・つまり、だれもがなにかしらの心の傷や生きづらさを抱えながら生きているのが今の世の中だからです。

 このことをまず心に留める必要があります。

 

 では、自己肯定感を育めなかった人は一生、自己肯定感と無縁で生きていかねばならないのか、、、というと、私はそんなことはないと断言します。現に、私自身も自分の力で自己肯定感を育むことができたからです。そのプロセスは非常にハードですが、その覚悟があれば、そしてある程度の我慢強さがあれば、必ず、自己肯定感というものがどういうことなのか分からない人でも心から実感できるようになります。

 このことを、当ブログのまとめとして第5章で綴っていこうと思います。

 

 親孝行の優しいアナタへ。

 自分の努力、そして自己の抑圧によって「親を理解しようと努力し親を超えることで救われる」と思っているとしたら、それはご自身の首をご自身の手で絞めているようなものです。いったん、その手を放してみませんか?

 スピリチュアルのメソッドで語られる「ゆるし」は、親子関係でつくってしまった心の傷やトラウマ(本人の記憶にないこともあります)、それらに起因する親への怒り、罪悪感をゆるすことで得られる境地だと言われています。が、私たちは生身の人間です。そんなに容易く傷が治り、傷跡さえ消すことなどできません。それは人間の脳の仕組みで「辛くて抱えきれないものほど、記憶の奥底へ沈め、忘れようとする」からです。つらい経験をしたのであれば、それは事実でとして「なかったこと」にできません。

 こうした親孝行の優しい人は、自分の手で自分の首を絞めているのですから病気になったり、原因不明の体調不良や、体のあちこちで感じる痛みなどに苦しみます。肉体は正直です。あなたに「お願い、助けて!」のメッセージを送っているのです。

 もし、こうした苦しみからの解放を求めてスピリチュアルにたどり着いてしまったのであれば、いったん、そこから離れてみることを考えてみてはどうでしょう。(無理は言いません。それがいいという人はそのままお続けください。なぜなら、あなたの人生を決めるのはあなた自身だからです)

 向き合う必要なのは自分の天上の世界ではなく、自己の内面なのです。

 自分の力で自分を癒せれば、お金もかからず、本当の自分に出会えるかもしれません。当ブログはそんな大それたことを目的にはしていませんが、スピリチュアルに希望を抱いたあなたの中に在る生きづらさや苦しさを自分の力で治すきっかけの一助にでもなれば幸いです。