脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

3-11 感覚過敏(HSP)という体質・気質にとって見逃せない話

近年、医学や心理学の世界でHSP(Highly Sensitive Person)という言葉が知られるようになりました。

HSPを直訳すれば「非常に敏感な人」をいい、HSPの第一人者であるアメリカの心理学者アーロン博士の研究によれば、社会の15~20%の割合でHSPな人がいるといいます。つまり、10人集まれば1~2人はHSPの気質を持った人がいるということです。

※詳しくはアーロン博士のホームページ等で調べてください。

 HSPの認知がされつつありますが、まだ研究途上の分野ですから、これからさまざまな角度からHSPについて知られることになるでしょう。

 

人の主観はなかなか他者と共通認識することが難しいことから、感覚をテーマに扱った研究は遅れていたのかもしれません。しかし、赤ちゃんを育てたことがある人は、ときどき「??」という、不思議な経験をした人は少なくないと思います。

まっさらな壁や天井を指さして笑ったり、何にもない場所を見ては泣いて顔を隠してを繰り返したり。快適な環境・状況に整えても泣きやまなかったり、自分では全く感知できない何かが「見えている?」「感じている?」「聞こえている?」というような現象です。

これも、HSPを示す現象だと私は考えます。

 

 

以下は、あくまでも私見です。

生まれたばかりの赤ん坊は純真無垢なので、大半はHSPな状態なのだと思います。視力はまだ明瞭ではありませんし、感覚も羊水の中に浮いていた時と外界とでは大きく異なります。

赤ん坊は成長と共に外界の環境に適応する感覚を整えていくのです。成長にしたがって知恵や言語能力を身につけ、経験を重ねていくことで感覚優位から思考優位へとどんどんシフトすると、HSP的な感覚が薄れていき、いわゆる一般的な感度の五感を主に使って生きていくようになっていくのです。

頭(思考)で勝負できないうちは、感覚で生き抜くしかないのですから、これは当たり前のことだと考えます。

それは、動物を見ればわかります。動物には超能力的なものを持っていると言われています。犬が津波を予知して救われたおばあさんの話を聞いたり、ナマズ地震を予知した話や、スマトラ島地震の時は、観光案内のゾウがやたら丘の上へ進んでしまう現象があったというニュースを見ました。

つまり、生き抜く力を感覚で得ている生き物のほうがこうした敏感で繊細な能力が高いと言えます。一方、人間は知恵と思考を使って生き抜くことを選択した生き物ですから、こうした(野生的な敏感な感覚)を種として失っていったのかもしれません。

 

時代は21世紀、AIの時代と言われるようになり、人間の専有特許であった「思考」がコンピューターに取って代わられようとしています。いくつもの戦争を経て、世界を牽引する先進国は極力、戦わずして世界平和を維持することを目指そうとしています。(実際にはいろいろありますが…)

有史以来、最も「平和な時代」を生きています。

 

その「平和」とHSPな人が増えていることに、相関関係があるのではないかと私は考えます。

 

つまり、

生き抜くことに必死にならずにすむ世界

になったこと、です。

 

人間が生き抜くために必要なのは、先に言った通り「知恵」や「思考」です。ところが、平和な世の中に生まれ、生きていると、生命が及ぼされる経験などほとんどありません。しかも、社会が子どもにとっての「危険」を排除する傾向にあります(公園の遊具撤去や遊び場の減少)ので、「知恵」や「思考」を使わずに生きられてしまうのです。

そうなれば、いつまでも赤ん坊のころの敏感な感覚は残ってもおかしくはありません。

 

一方で、相反する内容になりますが、児童虐待が増えていると言われています。

一見、豊かな国であると言われている日本でも、子供が命の危機に虐待と言う形で晒されてしまう悲しい事実があります。

このような環境で育った子供の脳の発達は偏り、脳の活動が低下し、成人以降もさまざまな問題を抱えると言われます。こうした脳の発達の偏りも、一部の感覚過敏を起こすのではないでしょうか?生き抜くために感覚を研ぎ澄ます、、という現象です。

先に言った、赤ん坊の時に持っていた繊細な感覚が環境によってどんどん鋭敏になる人もいるでしょう。これはきっと、そうせざるを得ない成育環境があったのだと思います。そもそもHSPの感覚は生き物が(生き抜くために備えた防衛能力)なのですから、危機管理能力として、繊細な感覚を持ち続けていなければならなかったり、自分を押し殺して(周囲に合わせること)(周囲に馴染むこと)で生き抜いた人なども敏感な感覚が環境によって鍛え抜かれたのかもしれません。

ですから、アダルトチルドレンにHSPが多いのも納得できます。

 

結局、バランスの取れた(ほどほどのストレスが含まれた、本人が少し頑張れば乗り越えられる負荷をかけた)環境というものが、子供の成育にとって実は非常に大事なのではないかと考えています。

その土台に必ず必要なのは保護者の絶対的な愛情と、安定した愛着関係です。

 

・・・でも、それが万全に提供されて育った子供が、この世にいるでしょうか?(人間はそもそも不完全な生き物ですから、完璧などないのです)

 

話を元に戻します。

大人になっても一定数、HSPと言われている人がいるということは、身体機能の特徴として、こうした感覚を持ち続けているということです。つまり、成長過程で失うことがなかったという人もいるだろうし、逆に研ぎ澄まされていったという人もいるでしょうし、遺伝的にある部分の感覚が強い人もいるでしょう。

 

これでいわゆる(霊感)問題も解釈できます。霊感は遺伝するといいますが、これも感覚過敏の一種であると考えれば、あり得る話です。

ということで、HSPの中で(超能力)や(霊感)の部分を持つ人についても、私には明確な意見があります。

これは、非常に敏感な感覚を持つ故のスキルではありますが、特別な能力ではありません。本来、誰もが持っているような感覚だと考えます。

 

途上国の現地民族の人は非常に視力が良くて、我々の目では全く見えないほど遠くに在るものを見分けられます。

私たちが見えないものが見えた、、、ら、それは超能力ですか?

 

聴覚が非常に鋭くて、一般人には聞こえない周波数の音も聞き分けてしまう人がいます。

私たちが聴こえないものが聴こえた、、、ら、それは超能力ですか?

 

もし、それが超能力であるというならば、100mを10秒以下で走りぬくアスリートたちも超能力の持ち主です。

 

・・・つまり、そういうことです。

 

 

これから話すことはあまり言いたくないのですが、私にも少し敏感な感覚を持っています。いわゆる人のエネルギー(一般的にオーラと言われるもの?)を見ることができますが、私はそれを超能力でも特殊能力でも、はたまた霊感でもなく、私の視力や聴覚や肌感覚と同じようなものだと考えています。

あくまでも主観ですから詳しく説明しろ!と言われても難しいことです。例えば、あなたが観ている世界を逐一、相手にそのまま伝えることが困難なように…。眼球の構造、脳の特徴によって、見えている世界の色合い、明るさ、距離感、カタチそのものなど、、、互いに比べることが出来ればきっと同じものなどないはずです。

 

そう考えると、(超能力)や(霊感)と言われているものは特別なものではないのです。ましては、自ら(超能力)や(霊感)を持っているという者は、もしそれが本当だとしても、扱い方、向き合い方に勘違いしていると思うのです。(商用利用を簡単にすべきでない)

 

 

HSPのことがだいぶ認知されてきたおかげで、超能力だと言われてきたことも科学的に実証されつつあります。中でもエンパスは、いわゆるスピリチュアルの世界に最も利用されやすいものでしょう。

 

エンパスは共感力とも言い、他人の意識・感情、周囲の環境エネルギーに共感してしまうことです。

これも、もともと誰もが持っている五感と同じような感覚の一種だと思います。ただし、先にも言った通り、人間は(頭で考える)ことを選択したために、この能力は退化(休眠)してしまった。

一部に、スピリチュアルブームに乗って利用して、自らのエンパスを利用して超能力・霊能力をアピールするスピリチュアル商売人がたくさんいると考えます。

が、ここでも問題があります。

そのエンパスは、非常に本人の主観によって受け取り方が左右されるということです。[他人の意識・感情、周囲の環境エネルギーに共感]と言いますが、私は[他人の意識・感情、周囲の環境エネルギーからの影響]と言わせてもらいます。

※自らのエンパスを語ってくれた人は、その感覚は常に(自分が責められているように感じる)(自分のことを嫌っているように感じる)というような自虐的なものでした。つまり、この方の性格、思考傾向、信念や価値観、思い込みというフィルターを通してしか(いわゆる共感)していないのです。つまり、結局は当人の主観でしかなく、他人の思考や感覚と同じものをキャッチしているわけではないのです。

 

結局、HSPな人、エンパスを持つ人というのは、特殊でもなく一般にいる人の感覚の一部を切り取ったことであり、その感覚を商用利用してサイキッカーだセラピストだと自称してしまうことができるスピリチュアルブームに問題があるといいたいのです。

 

・・・少子化の割には、HSPタイプの人が増えている感じがするので、スピリチュアルにハマる人が増える可能性は高い。ですが、一般的な理解が普及して、「それが特別なものではないこと」となって、商用利用されることが減ってくれることを望みます。

HSPやエンパスが科学的に実証されて、自慰行為的なサービス業のスピリチュアルは淘汰されていくでしょうし、まやかし商材で大儲けっていう人は、どんどんいなくなるはずです。


物質主義的の行き詰まりなのか、精神性が重んじられるようになったタイミングでスピリチュアルが流行しました。(第1章を読んでください)
それはそれで社会の流れなのでしょうが、いつの世も必ず「それで儲けよう」という人たちが出現します。
精神世界のことですから、できれば、経済活動とは別にしたほうがいいと思います。すでに、日本には神社さんやお寺さんがたくさんありますし、街頭に座っている占い師さんもいます。せいぜい5千円程度の満足料で、祈祷してもらったり、占ってもらって、心を安らかに保とうとすることは悪いことではありません。
何十万もする大金を払わせ続けるスピリチュアルビジネスは、あくまでも「ビジネス」です。精神活動とは異なり商売です。

その違いは理解する眼力は持った方が良いのではないでしょうか?