脱スピリチュアル・脱自己啓発

アメブロ『脱スピリチュアル・脱自己啓発』の改訂版。スピリチュアルにハマる…自己啓発セミナーに通い続ける…で、幸せは手に入るのか?

1-7 スピリチュアルに心奪わるとアイデンティティーが捨て置かれる

スピリチュアルの世界が自己肯定感の低い自分を慰め、心から自分を愛し認めることの意味を教えてくれた…。スピリチュアルが絶望の淵から救い出してくれたというのであれば、それは人生の転換のきっかけとして素晴らしい気づきであると言えます。自分のことを心から愛せない自己肯定感の欠如からの回復は、そう簡単ではありません。人間は頭ではすぐに解ることでも、心で受容するとなるとなかなか難しいからです。

 

一方で、スピリチュアルによる開眼によって、なぜか「スピリチュアルで食べていく(稼ぐ)」という方向へ行ってしまう人が多いのには問題があります。なぜ、そのようなロジックへと向かいやすいのでしょう。

 

スピリチュアル的思考を手に入れた人がスピリチュアルで生きていこう(稼いでいこう)と思い、自らをカウンセラーやヒーラー、セラピストと名乗って、多くの弱者(人生に迷い自分を見失った人)をクライアントにしていきます。かつてクライアントだった人たちが、やがてカウンセラーやヒーラー、セラピストになる…。それは、まるで新興宗教の洗脳と入信と同じで、(居場所)と(思想)への依存が始まるのです。

 

彼らがスピリチュアル依存に向かうきっかけとなる共通した言葉があります。
「そのままでいい。ありのままの自分で」

この言葉の引力を考えると、その先に自己肯定感の低い人の存在があります。

なぜ、このような言葉で涙が出るのでしょう?そこにフォーカスしたほうが良いのです。なぜなら、それは当たり前で特別な内容ではありません。誰にでもいえることです。アイデンティティーが確立している人がこの言葉を耳にしても「え?それで?」と返される何てことのないものなのですから。

ここに共通点が見えてくるわけです。「ありのまま、そのままの自分でいい」という言葉に大きく心を揺さぶられる人は、「本当の自分を覆い隠し、抑圧し、いじめて生きてきた(辛さ)(苦しさ)に耐えてきた」というフラストレーションがあるのです。自己肯定感の低い人の特徴のひとつです。

ですから、誘導されてはなりません。

 

さらに、ありのままの自分を受容できない人は「ありのままの状況」も受け入れられません。自分は「こんなんじゃない」「この程度じゃない」「もっとスゴくなるはず」「成功したい」「特別になりたい」というような欲求を、ありのままの自分に重ねられず苦しんでいるのです。

そうした人たちが自己啓発セミナーにハマっていきます。

 

(生まれてきた意味)とは、生きていく過程でさまざまな経験を積むことで心身とともに魂も成長することだと思います。一歩一歩、地道に丁寧に生きようとするしかありません。

自己肯定感が低ければ低いほど、苦しい人生を歩いている人が多い。そんな人たちに夢のような話『人生のショートカット(簡単に願いを叶えたい)』を持ちかけて、スピリチュアル商材を勧める。それは、本当の(スピリチュアル)の意味で人を助けるということになっておらず、単なる商売であるということが、賢い人ならお分かりになるでしょう。

セッション、ヒーリングと称してクライアントに伝える話は(ありのままの自分で)という当たり前な話、、、随分、ぼったくりだと思いませんか?

こんなことに金を払い通い続けてしまう人がいるのです。
欠如した自己肯定感が慰められたように感じる言葉。ここから今まで溜め込んでいたフラストレーションが吹き出し、スピリチュアルにハマっていきます。「あの人がイイ!」「この人が当たる!」と聞けば、全国各地、いや海を渡ってまで大金を払い、セラピーやセミナーやヒーリングや占いに執着していくのです。
こうなってしまうと、「自分は何のために生まれ、何のために生きているのか?」という人生そもそもの命題はそっちのけで、地に足をつけて生きていくことを忘れ、「自分探し」というスピリチュアルショッピングにのめり込み、気持ちが浮ついて、浮遊霊のようにどんどんさまよっていきます。

スピリチュアルという崇高なことをしていると勘違いして、実はただラクして稼ぎたいという欲望の餌食になっていくのです。心身(魂)ともにスピリチュアル商材に依存し、アイデンティティーは捨て置かれてしまいます。スピリチュアル商材にすがっていないと生きていけない人になっていくのです。

これが、「自分もスピリチュアル(商売)で生きていく」という世界です。全国・世界各地で、スピリチュアルショッピングで手に入れた商材の『ライセンス』を手に入れて、「癒しませんか?」と看板を掲げ出します。
ブログ主の斬り込み隊長は、これを『ウキ浮き遊びの循環』と命名しました。ココロ此処に在らず。自分を探しでさまよう魂が、スピリチュアル商材で循環しあっていく…。自分たちを「選ばれし者」と表現し、アセンションしたとお互いに言い合う。集い合い、魂のセッションだと言い出す…。
 足は地に着くどころか、まさに「浮足立って」自分軸を失います。